社員インタビュー

コントロールできなければ、一度離れてもいい
“はたらくWell-being”を体現する、ジョブリターンのロールモデル

岩下 育未 できることを増やすのが仕事を楽しむコツ
岩下 育未

岩下 育未

Ikumi Iwashita

2005年新卒入社。ライフステージが変化する中でもキャリアをあきらめず、広報、マーケティング、調査(統計)などを横断的に経験した。コロナ禍のリモートワークと育児の両立に苦しんで退職後、2024年に復帰。社外広報を中心に、社内広報やマーケティングにも横断的に従事する。

プロフィール詳細

新卒で株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社した岩下育未さん。キャリアの分かれ道が来るたびに、やりたいことがやれる場所をみずから探して実現してきました。
コロナ禍でテレワークとワンオペ育児との両立に限界を感じた際には、「コントロールしきれないなら、区切りをつけるしかない」とパーソルを退職。派遣スタッフとして余裕のあるはたらき方をしながら育児中心の日々を過ごし、2024年に退職から3年を経て復帰を果たしています。

キャリアも育児も、長いライフキャリアの一部。どちらかを選べないときは、一度離れて戻ってきてもいい。社内外を越えてあらゆるキャリアの在り方を受け入れるパーソルで、復帰後ますます活躍の幅を広げる岩下さんに話をお聞きしました。

社外広報をメインに
コミュニケーション活動全般を担当

―まず、現在の仕事内容から聞かせてください。

グループコミュニケーション本部の中にある広報室に所属し、社外広報を中心に担当しています。
広報室の役割は、グループビジョンである「はたらいて、笑おう。」に共感し、実践する人を増やすこと。そして、私たちが社会の中で実現しようとしている“はたらくWell-being”の意味と価値を広く伝え、多くの方に理解していただくことです。

社外広報は、メディア対応を含めた社外とのコミュニケーション、プレスリリース配信、危機管理対応などが主な仕事ですが、私はインナーコミュニケーションやマーケティングにも横断的に関わらせてもらっています。
みずから計画して役割を広げられる自由さ、裁量の大きさがあるのはとてもありがたいことですね。

―ホールディングスでの広報は、売りたいものを魅力的に見せるサービス広報とは、また違う難しさがありそうです。

そうですね。特に当社のコーポレート広報では、人材サービス業界のトップに近い立ち位置にいる企業として、「業界全体のプレゼンス向上に寄与する情報を正確に届ける」ことが求められています。

その意味では、社内の制度や取り組みの広報を通じて、私たちのスタンスをステークホルダーに示すことはもちろん、メディアが求める「人と組織に関連する情報」を迅速かつ的確に提供する活動も欠かせません。
広報室では、重点課題ごとに担当者を割り振り、専門性を持って対応できるようにしています。ちなみに、私はおもに人事領域の担当で、例えば人的資本、DEI(Diversity, Equity & Inclusion:ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)をメインテーマとしています。

―どのような点にやりがいを感じていますか?

2005年にインテリジェンス(現パーソルキャリア)に新卒で入社し、ベンチャー企業の混沌期から従業員7万人の上場企業になるまでを見てきましたが、当時と変わらず社長は今も社員と同じフロアにいます。
経営の意思や想いを社外に届ける私たちは、物理的にも精神的にも経営との距離が近く、その代弁者としてダイナミックなコミュニケーション活動に携われることが最大のやりがいだと思います。

キャリアのイニシアチブをとれず
コロナ禍に退職

―インテリジェンス時代には、どのような仕事を担当していたのですか?

中途採用支援のキャリアアドバイザーと営業からキャリアをスタートしました。

入社4年目に、「人が職業を選択する」という行動の背景を知りたくて、入社時から希望していたマーケティング部門へ異動。転職サービス「DODA(現doda)」のリブランディング、ウェブ編集、ユーザー調査、マーケティングPRなどを担当しました。
ほめ上手な上司に恵まれ、自分で手を挙げて任せてもらえるようなはたらき方をしたいという想いも叶えられて、かなり充実していたんです。そんなとき、夫の仕事の都合で関西に行くことになり、異動して関西支社の事業企画部門の立ち上げに携わることになりました。

育休を経て事業企画部に復帰したものの、再び夫の転勤で東京に行くことになったんです。「これまでのキャリアが断絶するのは避けたい」という思いが強くなり、過去にお世話になった上司などに連絡をして、自分で異動先を探しました。

―自分でキャリアの舵取りをするために行動されたんですね。

マーケ時代に携わっていたマーケティングPRがとても肌に合っていたので、その周辺で人材を募集していそうな部署を探し、2015年にテンプホールディングス(現パーソルホールディングス)の広報へ異動しました。

サービス広報やコーポレート広報、ブランド活動のROI測定などを担当しましたが、人材サービスに興味を持って新卒入社をした自分にとっては天職だなと。自社を愛してもらい、最終的には人材業界全体を愛してもらうために、見返りを求めないギブ&ギブの精神で情報を提供していく活動は、とてもやりがいがありました。

―当時、ワークライフバランスはとれていましたか?

育児や家事と仕事を両立できていたかと言われると、常にギリギリでしたね。新聞などメディアの入稿間際には、昼夜を問わず記者から電話がかかってくることがあり、子供を待たせて対応することもしばしばありました。

それでも、なんとかやっていたんですが、2人目の育休を経て復帰し、テレビCMのプロモーション企画などを担当しているときにコロナ禍になって。夫が激務で頼れない中、当時6歳、3歳の子供を自宅で見ながらリモートで仕事をすることがどうしても難しくて、退職を決意したんです。

―長く在籍されていて、仕事も充実していただけに、つらい決断でしたね…。

ライフステージが変化するたびに、自分なりにキャリアの在り方を模索して居場所を見つけてきたので悩みましたね。育児や勉強と仕事を両立したいときに、はたらく日数・時間・場所・休暇を選択できる制度「FLASH」の利用もすすめていただいたのですが、保育園との兼ね合いもあって、決めた期間で復帰できるとも限りません。自分でコントロールできない以上はやるべきではないと考えて、退職を決めました。

退職の意思を伝えた当時の上司が「長い休職だと思っている。いつでも戻ってきていいんだよ」と言ってくれたことは、すごく心強かったし、うれしかったです。パーソルを離れていた3年間は、育児に集中するための戦略的長期休暇だと思って、派遣社員として他社で就業していました。

復帰を後押ししたのは
パーソルではたらく「人」の良さ

―復帰はいつ、どのように決められたのですか?

子育てが一段落ついて正社員への復帰を考えたとき、やっぱりパーソルの仲間といっしょにはたらきたいと思ったんです。「パーソルなら長年の信頼貯金も活かせるのではないか」とも考え、パーソルに戻ってきました。

―企業規模が大きくなったことでできること、反対にできないことも増えたと思います。どのように折り合いをつけていますか?

業界や社会を動かすような力がついた分だけ、小回りがききづらくなったところはありますね。
ただ、キャリアと同じく、自分のコントロールが及ばないものをどうにかしようとしても、無理があります。コントロールできるものに全集中して、できることを増やすのが仕事を楽しむコツではないでしょうか。

答えのないことを追求して解決したい、そんなマインドが歓迎される文化だからこそできることも多いです。実際、広報の課題を解決するために新しい仕事を作り出してみたり、コミュニケーション全般の仕事を任せてもらえるように動いたりしていますが、とても楽しいですよ。

―ありがとうございました。最後に、岩下さんの今後のビジョンを教えてください。

振り返ると、キャリアのステージが変わるよりも先に、結婚・配偶者の転勤・出産育児といったライフステージの変化が訪れ、自分のキャリアを諦めることも多かったように思います。そんな中でも、職種が変わるような異動の希望や、東京と関西を行き来する転勤の希望を、一緒に悩んで叶えてくれた懐の深いパーソルには感謝しかありません。一度出て戻ってきたので、今の気持ちとしては定年まではたらけたらなと思っています。

時代とともに会社の名前や形は変わりましたが、はたらいている人たちの人間性の良さは変わりません。しかも、はたらきやすさは格段に向上し、はたらきがいとのバランスがとれるようになってきました。
家族との時間も大切にしつつ、人材サービス業界のリーダーに近いプレゼンスを活かして、業界全体にポジティブな影響を与えられるような仕事がしたいですね。

最後

※社員の所属およびインタビューの内容などは2024年11月現在のものです。

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