社員インタビュー
ライフステージが変わっても主体的にキャリアを描く
「やりたい」を追いかけて見つけたIRの現在地


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宮尾 直子
Naoko Miyao
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2020年中途入社。メガバンクの法人営業職を経て、夫の転勤で渡ったシンガポールで、損害保険会社の法人営業を経験。帰国後、IRへのキャリアチェンジを図る。より裁量のあるはたらき方などを求めて、2020年にエキスパートとしてパーソルに入社した。1年半の育児休業から復帰した2024年より、IR室の室長に就任。
プロフィール詳細
パーソルホールディングスでは、ダイバーシティの実現や、人材の確保、組織の活性化といった観点から、女性の活躍を推進しています。しかし、一般的には、ライフステージの変化によってキャリアの分岐点に立たされるのは、女性であることが多いでしょう。
妻や母としての役割を果たしながら、自分自身をも見失わずに生きるには、社会や企業のサポートに加えて「挑戦し続けるバイタリティー」が必要なのかもしれません。
家族に寄り添いながら自分らしい「はたらく」を追求し続け、現在地であるパーソルホールディングスでは、IR室の室長として輝きを放つ宮尾直子さんに、キャリアの変遷と今後の展望をお聞きしました。
夫の赴任先で英語を学び
現地採用で法人営業を経験
―キャリアのスタートはメガバンクの法人担当だったと聞きました。
新卒の当時は、誰にでも等しく必要とされるインフラのような商材の営業がしたいと考え、メガバンクに就職しました。ただ、私は2008年入社で、ちょうどリーマン・ショックの時期。銀行は苦境でした。
しかも、総合職の女性がまだ少なく、仕事に制約がある上にキャリアパスも見えにくい時代だったんです。
「辞めるなんて逃げだ」という思いもあって悩んでいたとき、夫のシンガポールへの転勤が決まって踏ん切りをつけることができました。
―シンガポールではどのように過ごされていたのですか?
ほぼゼロに近いところから英語を学び直し、履歴書に書けるレベルまでTOEICの点数を引き上げてから、日本の損害保険会社の現地法人で法人営業としてはたらき始めました。
その頃のシンガポールは景気が良くて、日本から進出する企業も多く、気鋭のメンバーが赴任してくるのですが、「事務方はよくわからないから、保険は全部任せる」と言っていただけることも多く、日本企業の立ち上げの一翼を担っている実感とおもしろさがありました。
4年後に夫の帰国で退職しましたが、正直に言って辞めたくないくらいのやりがいを感じていましたね。ただ、どうしようもないことをいつまでも悔やんでも仕方ないので、帰国して外資系企業の営業としてはたらくことにしました。

キャリアチェンジを経て
裁量権を求めてパーソルホールディングスへ
―帰国後は、どんな風にキャリアを築いていったのでしょう。
外資系企業はスピード感があってやりがいもある反面、基本的には海外本社のトップダウンで、お客様への価格変更の説明ひとつにしても、理由が後付けになる苦しさがありました。
もう少し自分で裁量を持ってはたらきたいけど、このまま営業でキャリアを積んでも先が見えないなと。それで、シンガポールで培った英語力を武器に、職種を探してみたんです。
そのとき見つけたのが、今につながるIRという仕事でした。
―キャリアチェンジをしてみて、仕事との相性はいかがでしたか?
IRは、機関投資家や株主に向けて、自社の財務状況や経営方針について情報提供をする仕事です。また、株主や投資家の意見を取りまとめて経営陣に報告したり、決算に関わる開示資料をまとめたりすることも重要な役割です。
話す人、関わる人が多い点は営業とよく似ていて、コミュニケーションやリレーションの能力が求められる点が自分に向いていると感じました。経営層に近く、会社の経営方針を決めていく重要なプロセスに携われることも魅力的だと思いましたね。
―IRとしての2社目がパーソルホールディングスですよね?
1社目では、決算説明会をはじめ、IRに関連した一通りの業務の経験を積むことができました。一方、親会社が持っているREIT(不動産投資信託)の運用会社であったため、あくまでも親会社の一部であり、関われる範囲はあまり広くなかったんです。会社の規模が小さく、投資家との対話が上の役職の人に限られるもどかしさもあり、転職を決めました。
自分たちで考えた戦略で事業をドライブできる立場で仕事をしたかったので、転職のマスト条件は事業会社であること。そして、ある程度まで自分で考えて意思決定させてもらえることと、海外投資家比率が高いことも条件でした。
大手よりも、「より裁量のある仕事を任せてもらえる規模で、かつプライム上場企業」という条件を満たす会社をいくつか受け、パーソルホールディングスに入社しています。
―最終的な入社の決め手を教えてください。
面接でお会いした皆さんの空気感です。堅苦しさがなくて、聞く耳を持ってくれる感じがしました。面接で「IRとして経験の幅を広げたい」「裁量を持って仕事がしたい」と伝えたら、「当社に来てくれたら、こういう仕事ができますよ」と、すぐに具体的な仕事の例を示してくれたんです。
こういう人たちがはたらいている会社なら、やりたいことができそうだと思いました。

「せっかくなら期待に応えたい」
IR室長として新たなチャレンジを開始
―入社後は、すぐに期待どおりの仕事を任せてもらえましたか?
はい、1番やりたかった仕事からやってみよう!と(笑)。
これは当社の良いところであり、見方によっては悪いところでもあるかもしれませんが、組織としてはまだ発展途上です。ですから、やれること、やるべきことがたくさんあります。
マニュアルやルールがないことが苦になる人にはきついかもしれません。しかし、私のように「自由にやって良いなら、任せてもらえませんか?」という人にはどんどんチャレンジさせる文化があって、ありがたかったです。
キャリアの捉え方とも共通するかもしれませんが、私は仕方のないことをいつまでも悩み続けたり、変えられない過去に固執したりしないタイプです。精神論となりますが、ないものはないし、なければ作ればいい。そうやって気持ちを切り替えればいいと思っています。
幸いパーソルでは、「これがなくて困っている」「作りたいから助けてほしい」と声を挙げれば、誰かが協力してくれるので、困ることもありません。これからどうしていきたいのか、理想を実現するために何があると良いのかを考える工程は、とても楽しいです。
―2024年7月からは、IR室の室長に就任されました。
2020年にエキスパートとして入社し、2022年8月から育休を取得して、2024年5月に復帰しています。室長の打診をいただいたのは復帰から2カ月後ですから、最初は迷いました。
でも、「せっかくなら期待に応えたい」という気持ちが勝って、チャレンジしてみることにしたんです。
IRの場合、キャリアを積んで管理職になっても、業務を通じて投資家や株主と企業の橋渡しをし、企業価値を高めていくという役割は変わりません。メンバーのアサインやスケジュール管理という点で俯瞰する視点は求められるようになりましたが、立場が変わってもプレーヤーの側面があることはIRのおもしろさだと感じています。
―ありがとうございました。最後に、ご自身とIR室の今後の展望をお聞かせください。
IR室には私以外に4名が在籍していますが、とても優秀で、教わることのほうが多いです。彼らの得手を組み合わせ、不得手を解消する方法を考えてチーム力を最大化させることが私の使命ですが、仕事の役割と人としての関わりをしっかり線引きし、勘違いしないリーダーでありたいと思っています。
育児復帰してあらためて感じているのは、本当に人が良い会社だということ。子供の急病やお迎えで迷惑をかけることがあっても、まったくぎすぎすしないのは、寛容で温かな人が多いからでしょう。
助けてもらっている分、自分のマネジメント力やIRとしての力を底上げすることに集中して、信頼してもらえる室長になりたいと思っています。

※社員の所属およびインタビューの内容などは2024年11月現在のものです。