人的資本経営とは?開示すべき情報、実践ステップ・事例を解説

投資家や企業アナリストからの関心の高まりや海外での情報開示義務化に伴い、日本国内でも「人的資本経営」への取り組みが加速しています。2023年3月期決算から対象企業において人的資本の情報開示が義務化され、企業の持続的成長を支える要素として「人的資本経営」の重要度が高まっています。しかし、「どのように自社の戦略に落とし込むべきか」「開示する情報の選定基準は何か」など、具体的な実践方法に悩む企業も少なくありません。

本記事では、人的資本経営の基本概念から、実践のステップ、企業が押さえるべきポイントまで詳しく解説します。

【調査レポート】人的資本経営に関する取り組み実態とは?

人的資本情報開示の義務化によって、投資家からの期待はさらに高まっており、人的資本経営が注目されています。実際、企業ではどのように取り組みが進んでいるのでしょうか。

パーソルグループでは、経営層・人事担当者を対象に、人的資本経営に向けた取り組み実態について調査しました。調査結果の中から、人材ポートフォリオに焦点を当てた【人的資本経営調査レポート 01.人材ポートフォリオ編】を公開しています。

体制や中核人材の充足度、従業員情報の管理・活用度についても具体的な傾向をまとめていますので、経営・人事の皆さまはぜひご活用ください。

資料をダウンロードする(無料)

目次

人的資本経営とは

人的資本経営とは、企業を支える人材の能力や経験、意欲を最大限に引き出すために積極的に人材への投資を行い、中長期的な企業価値の向上を目指す経営手法です。

経済産業省は、人的資本経営について以下のように定義しています。

人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方

【参考】経済産業省「人的資本経営~人材の価値を最大限に引き出す~ 」

従来、企業経営において「ヒト・モノ・カネ」が重要な経営資源とされてきましたが、改めて「ヒト(人的資本)」を付加価値の源泉として着目されています。人的資本経営は、従業員への投資を促進することで事業成長を目指す経営の考え方と言えるでしょう。

そもそも「人的資本」とは何か

人的資本とは、従業員が持つ能力や経験、意欲などを「資本」として捉える考え方のことです。具体的には能力や経験、イノベーションへの意欲などが人的資本に含まれます。企業が保有する資本には「有形資本」と「無形資本」があり、人的資本は無形資本に分類されます。

有形資本と無形資本の違い

2018年12月に国際標準化機構(ISO)が発表した、ISO30414「人的資本に関する情報開示ガイドライン」では、人的資本は以下11の領域に細分化されています。

ISO30414「Human resource management」

人的資本エリア 内容
1.倫理とコンプライアンス 行動規範に対するコンプライアンスの指標
(苦情や懲戒処分の種類・件数など)
2.コスト 採用・雇用・離職などの労働力コストに関する指標
(人件費、採用費、外部労働コストなど)
3.ダイバーシティ 労働力とリーダー層の多様性を示す指標
(年齢別・性別の労働者数、障害者数、経営陣の多様性など)
4.リーダーシップ 従業員から管理職への信頼、リーダーシップ開発などの指標
(リーダーシップの信頼性、リーダーシップの育成、管理職一人あたりの部下数など)
5.組織風土 従業員意識と従業員定着率の測定指標
(エンゲージメント、満足度、コミットメントなど)
6.健康・安全・幸福 従業員の安全、労災などに関連する指標
(労災により失われた時間、労災件数など)
7.生産性 人的資本の生産性、売上や利益に関する指標
(1人当たりの利益/EBIT/売上、人的資本ROI)
8.採用・異動・離職 人事プロセスを通じた適切な人的資本の提供に関する指標
(重要ポストの内部登用率、離職率など)
9.スキルと能力 個々の人的資本の質と育成・開発を示す指標
(人材開発と研修の総コスト、平均研修受講時間など)
10.後継者計画 対象ポジションに対する後継者候補の準備状況を示す指標
(後継者候補の準備率など)
11.労働力 労働力の確保に関する指標
(従業員数、外部の労働力、欠勤率など)
【参考】ISO「 ISO 30414:2018 - 人的資源管理 - 内部および外部の人的資本報告のためのガイドライン

なお、これらの指標に開示義務はなく、どの項目について情報開示をするかは各企業の判断に委ねられています。

しかし、ISO30414の指標とは別に、政府より人的資本に関する開示が求められています。企業が具体的にどのような情報を開示すべきかについては、「人的資本経営で企業が開示すべき情報」にて後述します。

【調査レポート】人事施策に関する動向・取り組み状況

人材不足が深刻化するなか、「採用」や「育成」など、人材施策に投資を行う「人的資本経営」が加速しています。本資料では今後より重要視される人事テーマの取り組み状況について、施策のポイントとあわせて解説します。

資料をダウンロードする(無料)

方向性を提示する「人材版伊藤レポート」の発表

2020年9月、経済産業省は、企業の持続的な企業価値向上と人材戦略の方向性を示す「人材版伊藤レポート」を発表しました。本レポートは、2020年1月に開催された「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書です。

企業が経営環境の変化に対応しながらも持続的に企業価値を向上させていくことを目的とし、人材戦略に関する経営陣、投資家それぞれの役割や投資家との対話のあり方、関係者の行動変容を促す方策が検討されました。

さらに、2022年5月には、経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するかという点について、より具体化・高度化した「人材版伊藤レポート2.0」が公表されました。企業が人的資本経営を実践するための枠組みとして「3つの視点(3P)」と「5つの共通要素(5F)」が提示され、人的資本経営を具体化する際に実行に移すべき取り組みやその取り組みを進める上でのポイント、有効的な工夫などが示されています。

フレームワーク「3P・5Fモデル」とは

「3P・5Fモデル」は、人的資本経営を実現するためのフレームワークです。人的資本経営において重要な視点(Perspectives)と共通要素(Common Factors)を示しています。具体的には、以下のように定義されています。

3P(Perspectives:視点)

経営戦略と人材戦略の連動 企業の経営戦略と人材戦略は密接に関連しており、両者が連動していることが重要です。経営陣は、経営戦略に基づき必要な人材を確保・育成し、具体的なアクションやKPIを設定する必要があります。
As is-To beギャップの定量把握 現状(As is)と理想(To be)の間にあるギャップを明確にし、その差を埋めるための人的資本戦略の方針を策定する必要があります。ギャップの定量化により、問題点や課題を特定し、効果的な戦略立案が可能です。
企業文化への定着 人材戦略の成果として、企業理念やパーパス(存在意義)、行動指針を従業員と共有し、組織文化として根付かせることが求められます。

5F(Common Factors:共通要素)

動的な人材ポートフォリオ 従業員のスキルや経験、在籍部署などの情報をリアルタイムで可視化し、経営課題に応じた最適な人材を配置することが重要です。
知・経験のダイバーシティ&インクルージョン 多様な個性や経験を持つ人材が活躍できる環境を整備し、互いを尊重しながら、協力してはたらく環境を作ることが求められます。
リスキル・学び直し 従業員が新たなスキルを習得し、自らのキャリアを見据えて学び直せる、継続的な支援を提供することが重要です。
従業員エンゲージメント はたらきがいのある職場づくりを通じて、従業員が主体的に業務に取り組める環境を整備し、経営戦略の実現に直結させることが求められます。
時間や場所にとらわれない働き方 在宅勤務やリモートワークなど、柔軟な勤務制度を導入し、従業員のパフォーマンスを最大化する環境を提供することが重要です。

ガイドラインとなる「人的資本可視化指針」の公表

2022年8月、経済産業省は人的資本化可視化指針として「企業の人的資本の開示に関する指針」を公表しました。この指針は、企業が人的資本の情報を開示する際のガイドラインとなる内容で、下記のような開示事項の例も記載されています。

領域 開示事項例
人材育成 ・研修時間
・研修費用
・パフォーマンスとキャリア開発につき定期的なレビューを受けている従業員の割合
・研修参加率
・複数分野の研修受講率
流動性 ・離職率
・定着率
・新規雇用の総数・比率
・離職の総数
・採用・離職コスト
ダイバーシティ ・属性別の従業員・経営層の比率
・男女間の給与の差
・正社員・非正規社員等の福利厚生の差
・最高報酬額支給者が受け取る年間報酬額のシェア等
・育児休業等の後の復職率・定着率
【参考】非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針

有価証券報告書の記載事項改正

2022年11月、金融庁は「『企業内容等の開示に関する内閣府令』等の改正案の公表について」を公表しました。本改正案によると、2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業約4,000社に対して、人的資本投資に関する「戦略」と「指標及び目標」の開示が義務化されました。具体的な開示内容については、次章で詳しく解説します。

人的資本経営で企業が開示すべき情報

前述の通り、2023年3月期の有価証券報告書から、上場企業約4,000社に対して人的資本に関する情報の開示が義務付けられました。

具体的には、従来の「人材育成方針」および「社内環境整備方針」の記載事項(従業員数・平均年齢・平均勤続年数・平均年間給与)に加え、以下3つの項目が新たに開示対象となりました。

    • 女性管理職比率
    • 男性育児休業取得率
    • 男女間賃金格差

企業には、自社の経営戦略と人的資本への投資、人材戦略との関係性を明確に示すことが求められています。具体的には、自社の人材育成方針や社内環境整備方針にもとづき、一貫性のある測定可能な指標や目標を設定し、その進捗状況を適切に開示することが期待されています。

【お役立ち資料】女性活躍推進を後押しする組織づくりノウハウBOOK

近年、女性活躍推進の動きが活発化していますが、女性管理職が増えない、どう進めたらいいか分からないなど、目標と現実のギャップに悩む企業も多いのではないでしょうか。本資料では、女性活躍推進の社会的背景から具体的な施策、進め方までを網羅的にご紹介します。 貴社の女性活躍推進にご活用いただければ幸いです。

資料をダウンロードする(無料)

【関連記事】女性管理職の比率はなぜ低いのか|原因と対策について解説

人的資本経営に注目が集まっている理由

日本で「人的資本経営」という言葉が広まった背景には、海外での情報開示の義務化が大きく影響しています。では、なぜ世界的に人的資本経営が注目されているのでしょうか。

その理由として、以下の2つが考えられます。

  1. 技術の進歩による市場の成熟
  2. ステークホルダーの意識の変化

1.技術の進歩による市場の成熟

第3次産業革命による自動化(オートメーション)の進展を経て、現代はAIやロボットが業務を最適化する第4次産業革命の時代を迎えています。テクノロジーの発展とともに市場が成熟していくと、企業は単なる技術力だけでは競争優位性を確保しにくくなっています。

技術の進歩による市場の成熟

そこで重要視されるのが、新たな価値を生み出す人的資本です。現在の技術ではAIやロボットは学習により最適解を導き出すことはできますが、潜在的ニーズを発掘し、新たな意味を創出するような創造的な思考や、市場を変革するようなイノベーションの創出はできません。

そのため、均質化された市場の中で企業が競合優位性を保つために、従業員が最大限の価値を発揮できる環境を整える「人的資本経営」が求められています。

2.ステークホルダーの意識の変化

近年、環境汚染や不当労働などの社会課題に対する関心が高まり、企業の持続可能性(サステナビリティ)を重視する投資家や消費者が増えています。サステナビリティの評価軸には、以下の3つの視点があります。

    • 環境(Environment):森林伐採、海洋汚染、温室効果ガス削減などの取り組み
    • 社会(Social):ジェンダー平等や教育格差の是正、社会の安定への貢献
    • 経済(Governance):貧困問題の解決、労働環境の改善、社会保障の整備・拡充

上記のうち、「社会(Social)」に関する取り組みとして重要視されているのが「人的資本経営」です。とくに、サステナビリティを考慮した投資手法である「ESG投資」の広がりにより、人的資本の情報開示が進められるようになりました。

企業にとっても、投資家や消費者に対して「持続可能な経営を実践している企業」であることを示すために、人的資本経営を強化する動きが加速しています。

【関連記事】ESG/ESG投資とは?企業が取り組むべきことと事例を紹介

人的資本経営のメリット

人的資本経営を推進することで、事業戦略の実現可能性が高まり、企業の持続的な成長につながります。より具体的に、企業にどのような好影響がもたらされるかを説明していきます。

    1. 人材投資の最適化
    2. 企業ブランドの向上
    3. 投資家からの評価の高まり
    4. 従業員エンゲージメントの向上

1.人材投資の最適化

人的資本経営では、人材への投資(教育・育成)が重要な要素となります。そのためには、「事業戦略上求める人材の特定(TOBE)」と「現在の人材の能力やスキルの可視化(ASIS)」を行い、そのギャップを把握しましょう。

このプロセスをたどる中で、従業員一人ひとりの能力やスキルが明確になり、適材適所の人材配置や、個々の成長課題に応じた人材投資が可能になります。結果として、従業員一人ひとりの生産性が向上することで、パフォーマンスもあがり、その結果企業の利益拡大にもつながります。

2.企業ブランドの向上

人的資本経営を推進し、積極的に人材に投資をしたり、社員を育成したりする姿は、様々なステークホルダーに好印象を与えられるでしょう。それによって、社会的信頼が高まり、企業ブランドの向上も期待できます。

企業のイメージが向上することで、新たな顧客獲得や優秀な人材の採用にもつながり、結果として競争力が強化されるでしょう。

3.投資家からの評価の高まり

人的資本経営に取り組むことで、市場・投資家から認知されるきっかけとなります。

投資家が企業価値を評価する際、将来の成長可能性を示す指標のひとつとして、開示された人的資本指標が活用されます。積極的な情報開示により、持続的な成長が期待できる企業としての評価が高まることが期待できます。

投資が増えることで、さらなる人材育成や事業拡大に資金を充てることが可能になり、企業の成長につながります。

4.従業員エンゲージメントの向上

人的資本経営を通じて、従業員が成長できる環境を提供することで、仕事に対するモチベーション向上につながります。

また、成長機会を与えられることで、企業への愛着や帰属意識(エンゲージメント)も高まり、離職率の低下も期待できるでしょう。

海外における人的資本経営の動き

前述のとおり、日本では2023年より動きが活発化していますが、アメリカではすでに義務化が進んでおり、グローバルにおける動きも加速しています。本章では、海外の現状について解説します。

EU

EU(欧州連合)では、2023年1月にサステナビリティ開示に関する法令「CSRD」が改定され、新しい規則が追加されました。人的資本の領域では、ジェンダー平等や賃金、トレーニング、スキル開発などに紐づく情報の開示が求められています。

アメリカ

アメリカでは、2020年8月に米国証券取引委員会(SEC)が30年ぶりに人的資本開示ルールを改正し、アメリカの上場企業に対して人的資本に関する情報開示を義務化しました。開示内容は各企業の自主性に任されており、現在開示すべき項目の具体的な指定と、法律による義務化についての審議が進められています。さらに、2023年9月には、「Form 10-k(日本の有価証券報告書に当たるもの)」への人的資本の開示内容を強化する方針が発表されました。今後さらに情報開示の動きが加速していくと考えられています。

以前からアメリカは人的資本を含む無形資産への投資を積極的に進めてきた背景があります。アメリカの知的財産に関するアドバイザリー会社であるOcean Tomoが発表した 「Intangible Asset Market Value Study」によると、S&P500の市場価値の構成要素は1975年には約80%が有形資産でしたが、2020年には無形資産の割合が90%を超えています。このデータは、人的資本を含む無形資産への投資が企業価値において重要性を増していることを示しています。

市場価値の構成要素
【参考】OCEAN TOMO「Intangible Asset Market Value Study」

人的資本経営を実践するためのステップ

人的資本経営を実践していくには、どのようなステップで進めていけばよいでしょうか。基本的には、以下のPDCAサイクルを回すことが求められます。

  1. 経営戦略と人材戦略を紐づけ、目指す姿を設定する
  2. KPIの設定と施策の考案
  3. モニタリング・改善

1.経営戦略と人材戦略を紐づけ、目指す姿を設定する

まずは、企業の経営戦略と人材戦略の紐づけを行うことが重要です。

パーソル総合研究所の調査によると、人的資本情報のマネジメント実態について「経営戦略と連動する人材戦略が策定できている」と回答した上場企業の役員層・人事部長は59.2%にとどまりました。

人的資本情報のマネジメント実態
【出典】株式会社パーソル総合研究所「人的資本情報開示に関する実態調査

また、人的資本情報のデータ蓄積やHRテックの導入など「HOW」の項目を中心に役員層と人事部長の認識のギャップが大きいことがわかりました。

役員層と人事部長の認識のギャップ
【出典】株式会社パーソル総合研究所「人的資本情報開示に関する実態調査

経営戦略と人材戦略に乖離が発生する理由にはさまざまなものが考えられますが、経営層と人事部門の認識のすり合わせが甘く、お互いの考えを十分に理解できていない可能性が高いといえます。例えば、以下のようなケースです。

    • 人事部門から人材戦略を立案しても、経営層に十分理解されず、独自にできることを進めざるを得ない
    • 人事部門のメンバーがボードメンバーに含まれておらず、経営戦略の策定に関与できない
    • 経営層の指示に基づき人材戦略を立案するものの、経営の意図を十分に反映できていない

こうしたズレを防ぐには、企業が目指す姿とのギャップを明確にすることが重要です。まずはゴールを設定するために、時間軸を考慮し、以下2つの観点で自社を客観的に整理します。

    • 過去から現在に至るまで取り組み
    • 現在から未来に向けて目指す姿

今までの取り組みと、それによって作られた自社の現在の状況を踏まえて目指す姿とのギャップを把握することで、より強化すべきものや足りないものが見えてきます。

また、戦略の乖離を防ぐための方法として人材データを可視化し、経営層と人事部門が共通認識を持つことが挙げられます。しかし、企業として「どのような組織を目指していくか」の共通認識がないと、そもそもどのような情報を、どのような粒度で見ていくかを決めることができません。データを蓄積することが先行してしまわないよう、注意しましょう。

2.KPIの設定と施策の考案

自社が目指す姿を設定したら、次に実施する施策を考えます。その際、KPI(重要業績評価指標)の設定が重要な鍵となります。

投資家は企業を評価する際、「投資先として適切か」という信頼性を見ています。信頼性は現在の能力(売上や保有する技術)だけではなく、「描いた戦略を実行するための力を持っているか」「描いた戦略を強く推進する意図(姿勢)が明確か」といった側面からも判断されます。

そのため、単なる数値目標の設定にとどまらず、企業のビジョンや意思決定の背景が伝わるようなKPIを設計することが求められます。以下3つの視点を意識することで、ステークホルダーや投資家にとって信頼できる、魅力がある企業だと伝えることができるでしょう。

KPI設定において重要な視点

    • 未来志向:過去を振り返りながら、現状を認識し、未来を語る
    • 経営戦略との整合性:部分最適にならないよう、経営戦略との連動を意識する
    • 自社らしさ:他社と比較可能な共通項目に加え、自社らしさを表現する独自性を盛り込む

なお、すべての施策に対し、定量的なKPIを設定しなければいけないわけではありません。人事データで示される数値は、あくまで議論を促進するためのものです。情報の開示やツールの活用が目的化して、無理に定量的なKPIを設定しないよう注意しましょう。

3.モニタリング、改善

最後に、施策を実行したら、その効果検証と、必要に応じた改善を行います。効果検証は以下のような方法を用いて、設定した目標への到達度や施策実行による変化の推移を検証します。

    • 有給休暇取得率や研修受講率といった定量的な指標の場合は、システムを活用して人事データを整理する
    • 給与や福利厚生、環境に対する満足度を図る場合は、エンゲージメントサーベイを実施する

ただし、人的資本は無形資産であるため、数値化・定量化しにくい部分もあります。定量化されていないものを評価する際は、プロセスの妥当性や質について議論するとよいでしょう。また、施策を通して、社内外に自社の目指す姿が伝わっているか、メッセージ性があるかといった点も判断基準となります。

人的資本経営は、一度情報を開示して終わりではなく、継続的な取り組みです。中長期的に経過を見ていくことで、より将来の予測性が高まり、本来求められる人的資本経営の在り方に近づきます。成果と課題とを見極めながら、再度施策の考案へ戻るというPDCAサイクルを意識して取り組みましょう。

【関連記事】エンゲージメントサーベイとは?目的や効果、実施のポイントを解説

人的資本経営を実践するためのポイント

人的資本経営を実践するステップを紹介しましたが、本来の目的は、「人的資本経営により持続的な成長を図ること」です。そのために重要なポイントは3点です。

  1. 開示を目的化しない
  2. 戦略との紐づけを徹底する
  3. 自社のありたい姿を大切に

1.開示を目的化しない

海外での開示義務化や投資家の要望など、外部環境からの影響を受けることで、情報開示が目的となってしまうケースがあります。そもそも何のために開示するのか、企業価値を高めていくためにどうするべきかを目的として考えることが大切です。

「とりあえず開示する」といった考えで動いてしまうと、データの計測や集計で終わってしまうこともあります。あくまで、企業の成長につなげていくための取り組みであることを意識しましょう。

2.戦略との紐づけを徹底する

人的資本経営を進める上で、人材戦略と経営戦略が乖離してしまうことがあります。例えば、社内の制度や規定が細分化されすぎてしまい、環境や市場の変化に柔軟に対応できなくなっていることもあるでしょう。人事部門は採用や研修といった目先の課題に対応するだけでなく、経営戦略を紐解き、未来を見据えて検討することが大切です。「バックキャスティング」の思考を活用し、目標とする企業の未来像を描き、そこから逆算して実現する道筋を考えていきます。そのための手段として、人材戦略と経営戦略の紐づけを徹底しましょう。

3.自社のありたい姿を大切に

人的資本経営を行う上で陥りがちな課題として、以下のようなものが挙げられます。

    • 他社の取り組みをそのまま模倣する
    • ガイドラインや指針に準拠し、経営判断に使用していない、重要視していないKPIを設定する

こうした状態で人的資本経営を進めると、開示がゴールになってしまいます。ガイドラインや他社との比較も大事な観点ですが、自社のありたい姿を見失わないように、以下のステップを意識して議論を進めましょう。

    1. 「なぜ取り組むのか?」(経営戦略と人材戦略と紐づけ)
    2. 「何が重要か?」(テーマの設定)
    3. 「どのように高めていくか」(具体的なアクション)

人的資本経営は、人事部門だけの取り組みではありません。財務や広報、各事業部門とも連携し、組織全体で一貫した方針のもと推進していくことが求められます。自社の目指す姿について、部署ごとの小さな枠組みではなく、大きな枠組みで捉えることが大切です。

また、人的資本は無形資産であり、定量化が難しい側面もあります。そのため、全社で同じ方向を向いて取り組みを進めることが求められます。

事例から考える人的資本経営

本章では人的資本経営に取り組む2社の事例を紹介します。

サイボウズ株式会社|型にはまらず自社のカルチャーが伝わる情報を積極的に発信

サイボウズでは、社員の幸せやはたらきがい、成長を重視しています。ベンチャー時代に離職率の高さや優秀な人材の確保・定着に課題を抱えていたことから、人的資本経営に取り組み、採用やリテンションの強化には、従業員一人ひとりの主体性やチームワークが重要であると考えるようになりました。

まずは、自社の企業理念や存在意義の基盤となる4つの文化を言語化。組織として在りたい姿の追求を始めました。

整理した情報をオウンドメディア「サイボウズ式」で積極的に発信することで、共通の理想を持つ人材の採用を強化。それによって、組織の生産性とはたらく人の幸福度を高めることができるようになりました。

今後も型に従うのではなく、自社のカルチャーを表現できる人的資本情報の開示を続けていくそうです。

株式会社ポーラ|非財務情報の開示で社内の意識向上・自発的な取り組みを促進

ポーラは2021年にサステナビリティ推進室を設け、サステナビリティレポートの発信を始めています。社会と社員に対して「数値目標を立て、本気でゴールに向かって取り組んでいく」という姿勢を見せることがひとつの狙いでした。

さらに、全国にいるビューティーディレクターをはじめ、ビジネスパートナーに対しても、「人・社会・地球環境」の3観点・15指標から、何に着手し、どのような未来を創造するかといった会社の方向性を示すべく、それぞれ注力目標を定め、情報を開示しています。

また、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性の尊重)についても目標を示すことで、全国にいるビジネスパートナーが自発的に勉強したり、自分たちの店舗でできる取り組みを考えて実行したり、全社的な組織活性化につながっています。

【関連記事】DE&Iとは│D&Iとの違いや施策例、推進ポイントを解説

まとめ

人材を資本として捉え、中長期的な企業価値向上を図る人的資本経営について解説しました。企業の成長を支え、根幹となるビジネスモデルを築いていくのは、「人の力」です。今後の企業に求められるのは、自社の人材の可能性を引き出し、一人ひとりが最大限に力を発揮できる環境を整えるようにしていくことでしょう。

人的資本経営を開示義務への対応や一時的な流行と捉えるのではなく、企業の未来を見据えた取り組みとして捉え、変化の激しい社会であっても強みを発揮できる会社へと変革していきましょう。

【調査レポート】人的資本経営に関する取り組み実態とは?

人的資本情報開示の義務化によって、投資家からの期待はさらに高まっており、人的資本経営が注目されています。実際、企業ではどのように取り組みが進んでいるのでしょうか。

パーソルグループでは、経営層・人事担当者を対象に、人的資本経営に向けた取り組み実態について調査しました。調査結果の中から、人材ポートフォリオに焦点を当てた【人的資本経営調査レポート 01.人材ポートフォリオ編】を公開しています。

体制や中核人材の充足度、従業員情報の管理・活用度についても具体的な傾向をまとめていますので、経営・人事の皆さまはぜひご活用ください。

資料をダウンロードする(無料)

インタビュー・監修

株式会社パーソル総合研究所 主任研究員

井上 亮太郎

大手総合建材メーカーにて営業、マーケティング、PMI(組織融合)を経験。その後、学校法人産業能率大学に移り組織・人材開発のコンサルティング事業に従事した後、2019年より現職。組織や人の感情・感性に着目した計測やモデリングをベースとした調査・研究に従事。研究実績:「タレントマネジメント実態調査」(機関誌,2019)、「はたらく人の幸福学」(機関誌,2020)、「職業生活における幸せ/不幸せ因子尺度の開発」(日本感情心理学会,2022)など。慶應義塾大学大学院特任講師、Project Management Institute(PMP)

 

株式会社パーソル総合研究所 コンサルティング事業本部 マネジャー

中島 夏耶

東京都立大学大学院経営学研究科修了。大手調査会社において、見えざる資産の顕在化、それを活用した経営に関する調査・研究に多数参画。2018年3月より現職にて人事制度改革やキャリア自律支援等数々の組織・人事コンサルティングプロジェクトに従事。共著書『ミドル・シニアの脱年功マネジメント』(労務行政,2020) 、『経営戦略としての人的資本開示』(日本能率協会マネジメントセンター,2022)、研究レポート「人的資本の開示 調査研究レポート」(一般社団法人HRテクノロジーコンソーシアム,2021)

よくあるご質問

Q.人的資本経営を実践するポイントは?

A.人的資本経営を実践するための第一歩は、経営戦略と人材戦略を連動させ、明確な目標設定をすることです。また、戦略と実践の乖離を防ぐためには、自社の人材データを見える化し活用することが有効です。

パーソルグループでは、人的資本経営に関連する人事施策について調査を行い、その中から「人材ポートフォリオに関連する取り組み」をまとめて公開しています。レポートは、以下リンクよりどなたでも無料でダウンロードいただけます。
>>【無料ダウンロード】人的資本経営調査レポート|01.人材ポートフォリオ編

Q.人的資本経営とは?

A.人的資本経営とは、企業を支える人材の能力や経験、意欲を高めるべく、人材への投資を行い、中長期的に企業価値の向上を目指す経営手法のことです。従来、人材は「リソース(資源)」として捉えてきましたが、人的資本経営では「キャピタル(資本)」として捉えることで、利益を生む源泉として投資を強化する方向にシフトしていくことが求められています。

>>人的資本経営と従来の経営との考え方の違い

Q.なぜ人的資本経営が注目されているのか?

A.市場の成熟によって技術だけでの差別化が難しくなったことや持続可能性(サステナビリティ)を重視する投資家が増えたことが要因です。日本で注目されるようになったきっかけは、海外で人的資本情報開示の義務化が進んだためだと考えられます。

>>人的資本経営に注目が集まっている理由