愛知県名古屋市に本社を構える、ブラザー工業株式会社。1908年にミシンの修理業からスタートした同社は、2025年に創業117年を迎えました。現在は家庭用ミシンやプリンターに加え、産業機器などBtoB領域へと事業を広げながらグローバルに変革を続けています。
そんな同社が2023年に新たに策定したのが「人事ポリシー」。人事部の旗振りのもと、役員や他部署のメンバーも加わり、人事制度の土台となる考え方を表明しました。
今回は、人事ポリシー策定に携わり、その後の人事制度改革を牽引された人事部の岡田さんと、実務の設計・運用を担った坂本さんに、ポリシー策定に至った背景と実際の施策、そして今後の展望についてお話を伺いました。
プロフィール:
ブラザー工業株式会社
人事部 執行役員 岡田 英嗣(写真左)
労務グループ 坂本 英子(写真右)
目次
「2030年の先」を見据えて。多様性の時代に、人事部としての決断軸をつくる
──はじめに、御社のご紹介をお願いします。
岡田さん:当社は1908年にミシンの修理業として創業しました。その後、家庭用・工業用ミシン、プリンターなどの情報通信機器、産業機器などに事業を展開し、モノづくりを基盤とした多角的な事業を手がけています。近年は、特にBtoB領域での事業強化を進め、より産業用領域のビジネスを拡大しているところです。
──創業117年を迎えた今も、創業時の想いを引き継いでいるとお聞きしました。
岡田さん:「創業の精神」のことですね。3つあるうちの「働きたい人に仕事をつくる」「愉快な工場をつくる」の2つが、「ブラザーで働く人」に向けられたものになっているところが、ブラザーらしいところです。
──人を大切にする精神なのですね。
岡田さん:そうですね。「常にお客様を第一に考える」姿勢を表したコーポレートメッセージ“At your side.”にも、相手のそばに立ち、常に寄り添って価値を提供していくという想いが込められています。こういった精神は、ブラザーDNAとして従業員たちにも根付いているものです。
──そのような社風の中、改めて2023年に策定された「人事ポリシー」について、教えてください。
岡田さん:ブラザーは、変化の激しい時代に対応しながら、企業として持続可能な成長を実現していくために、2022年にブラザーグループビジョン「At your side 2030」を打ち出しました。これは、2030 年に向けてお客様にどのような価値を提供していくのか考え、ブラザーの存在意義を再定義した「あり続けたい姿」を起点に、どのような方法で価値を提供するのか(「価値の提供方法」)、何を実現するのか(「注力領域」)を示したものです。
岡田さん:創業時と比べて時代は大きく変わっていること、さらに2030年に向けて会社が大きく変革していくとなると、はたらき方自体も見直していく必要があります。新たなはたらき方を創るとすれば、旗振り役は我々人事部になりますので、策定に向けてまず人事部としての姿勢を明文化する目的でポリシーをつくることにしました。
坂本さん:「従業員の『真の自律と挑戦』を支え、多様性を尊重するとともに、成果と貢献に正しく報いる」。この一文に、今後人事部が立ち返るべき軸が凝縮されています。ここに至った課題として、多様性が尊重される時代ゆえにどこまで人事制度は個別最適できるか、という迷いがありました。従業員一人ひとりに健やかにはたらいてほしいという想いゆえ、「本来、会社としてそこまでサポートするべきか?」という事案に対しても、全力で解決しようとしてしまっていたんです。人事部のリソースにも限りがありますし、これから会社が変革していく上で、中長期的な視点を持てる余裕がないことも課題となっていました。そのため、判断に迷った時に、「これは本当にブラザーの目指す未来に沿っているのか?」を問い直し、決断するための基準が欲しかったのです。
岡田さん:人事制度改定のきっかけは「At your side 2030」ではあるのですが、その内容は直接リンクはしていません。もちろんブラザーの発展を見据えるという軸は共通しているのですが、人事部が目指す到着点は2030年ではなく、もっと先。なぜなら、2030年がゴールではなく、ブラザーの存在意義が未来永劫に続くための人事制度という思いがあるからです。
「真の」という言葉に、一人ひとりの解釈を促す
──人事ポリシー策定の背景には、はるか未来までも発展し続ける意思があったのですね。
岡田さん:手前味噌ですが、ブラザーっていい会社なんですよ。人事部の中でも、基本的に「従業員を大切にしましょう」「従業員の幸せのために」といった言葉が常に飛び交っています。さらには現場からの声が人事部に届きやすい社風ゆえ、個々人の問題にも全力投球で解決してしまい、「会社としてそこまで支援すべきか」ということに悩むようになりました。
一人ひとりに向き合っていく想いは大切ですが、会社としてはこれから大きく変革していこうというタイミングです。人事部のリソースが目の前のことだけでいっぱいいっぱいになってしまうと、中長期的な視点が欠けてしまう。今回の人事ポリシーの策定は、ブラザーらしさを尊重しながらも「本来の人事の目的に立ち返る」ためのものなんです。
──本来の人事の目的、ですか。
岡田さん:社内制度を整え、従業員のモチベーションを上げ、エンゲージメントを高めることで、成果を出せる環境をつくる。そして、成果を出している人たちに対して、報酬という面でもしっかり支援をしていきたい。はたらく環境と報酬制度、両方を整えることが会社の発展につながり、お客様のお役に立つことにつながります。我々人事部は、従業員のために存在していることはもちろん、会社や事業、そしてお客様に貢献する仕事ができているかという視点も忘れてはなりません。
──人事部のみなさまの視座を、一段上げていく意味合いもあるのですね。「真の自律」と「真の挑戦」、あえて「真の」とつけたのはなぜですか?
岡田さん:自律と挑戦という言葉は、実は以前から社内でよく使われていました。しかし各部署へのヒアリングを行うと、言葉が形骸化しているという声が聞こえてきました。「挑戦しよう」といっても、実際には現状業務の延長にあるチャレンジで小さく纏まっていることも多かった。我々は、身近な挑戦も立派な挑戦であることは認識しています。その上で、「自ら意思を持ってキャリアを切り拓くこと」、「事業の未来に貢献するような大きな挑戦をしていくこと」を改めて目指していこう、という願いを込めて、「真の」という言葉を加えました。
坂本さん:「真の」は、重たい言葉だなと思います。策定後、例えば人事部内では「これは真の挑戦になっているかな?」という会話が生まれるようになりました。「真の挑戦とは」「真の自律とは」、それぞれの説明も明記していますが、この一言が加わることによって、従業員一人ひとりが「自分にとっての意味」を考えるきっかけが作り出せたのでは、と思っています。
「入社から定年まで、すべての階層が良さを感じる」人事制度を目指して
──人事ポリシー策定後、人事制度はどのような改革が行われ、どのような反響がありましたか?
坂本さん:今回一番取り組みたかったことは、事業のニーズに合った、多様な人財が活躍することです。若手からシニアまで、どの年代でもモチベーション高くはたらいてもらうことを目指しました。
まず、職能資格制度から役割等級制度に変更しました。管理職については、いわゆる役割の考え方を成果(賞与)には取り入れていましたが、給与にも反映しました。ブラザーの管理職には、部長クラス・グループマネジャークラス・チームマネジャークラスの3階層がありますが、今後、現職の方々の定年退職が進むことを見据えて、管理職の若返りも重要だと考えました。そのために、一般社員から管理職、シニアまで一貫した人事制度とし、早期抜擢が進むよう昇格条件や報酬体系を変更しました。早期に昇格する制度は以前よりありましたが、改定後は、若手の推薦が増えています。少しずつ、制度変更の効果が出てきている実感があります。
とはいえ、まだ理想には程遠いですね。例えば、100人中1人~2人が若くして管理職に昇格するような変化ではまだまだで、20人~30人と見え始めてようやく「組織が変わってきた」とみんなが実感できます。そういった手応えを、今後はつくっていきたいですね。
岡田さん:またもう1つの大きな変化は、定年延長です。これまでも当社では60歳の定年後も、希望者には65歳まで雇用を継続できる「シニアスタッフ制度」を導入していましたが、2026年度から段階的に定年延長を進め、2029年度以降に60歳を迎える従業員を「65歳定年」とします。これはシニア層のさらなる挑戦や活躍を推進するためのもの。これに伴い、シニア層の役割基準をより明確に定義し、それに基づいた評価・報酬制度を整備することで、高い成果・貢献を創出するシニア層を適切に評価します。
坂本さん:ちなみに、この定年延長は、必ず65歳まではたらかなければならないというわけではなく、60歳以降の定年年齢をあらかじめ選ぶことができるものです。例えば、60歳を選んだ場合も、その従業員にとっては定年退職としています。ブラザー工業を満期で卒業する形にすることで、次のキャリアを会社として応援していく形になっています。
岡田さん:今回の人事制度改革は、「入社から定年まで、すべての階層が良さを感じる」ことを目標にしました。そのため、制度設計も「4世代別アプローチ」で進めています。年功序列ではなく、成果と挑戦を基準に、全世代に正しく報いることを重視しました。
──「正しく報いる」これも印象的な言葉ですね。
坂本さん:上司やシニア層が生き生きとはたらいている姿を見られるのは、若手にとっても良いことだと思うんです。それに、会社の施策に関して「私には関係ない」と思われるのが一番残念なことなので、全員が自分ごととして捉えられることを目指しました。
岡田さん:「ブラザーが今後どうやって社会の中でお客様に価値を提供し続けていくのか」。この課題に対して、やはり全従業員の力を集結していかないと、大きな変革は叶いません。新卒や経験者採用も重要ですが、今いる従業員全員が数パーセントずつでも成長していけば、それだけでもかなり大きな力になります。「まだ若手だから」「シニアだから」ではなくて、全従業員が全力ではたらける会社を目指したいですね。
──制度変更後、社内への浸透にはどのような工夫をされたのでしょうか?
坂本さん:従業員一人ひとりへの説明が重要と考えて、説明の機会を多く持ちました。従業員向けの全社説明会は職種別で開催し、ライブで10回、ウェビナー配信で7回、計17回行いました。説明会の様子は、Q&Aとともに社内のイントラサイトにも掲載しました。
説明会については、役割や職種によって使う言葉や伝え方を変えながら、丁寧に届ける工夫をしました。説明会の最後には質疑応答の時間を設け、その場で従業員からの質問に答えました。手厳しい意見もありましたが、当時の人事担当役員や人事部長の岡田が、従業員一人ひとりに真摯に向き合っていました。
自分はどうなるのか、などの問い合わせ対応は説明会ではできないことから、別途、窓口を設置しており、先ほどお伝えした選択定年は、説明会でいただいた従業員の声も参考に導入したものです。
岡田さん:制度は「作って終わり」ではありません。伝え方の工夫、対話の積み重ねが大切なのだと感じています。
制度を支える「文化」と「大切にしてきた価値観」
──「4世代別アプローチ」により、生涯やりがいを持ってはたらける環境の提供をめざされているとのことですが、キャリア研修なども世代別に実施されているんですか?
岡田さん:そうですね、各世代に対する従業員のキャリア研修は、30年ほど前から実施しています。今は多くの企業が取り入れているかと思いますが、導入当時は珍しかったと思いますね。27歳・35歳・42歳・50歳・55歳と管理職は役職定年のタイミングで受けてもらい、当社で定年まではたらくと5回または6回受けることになります。この時に、会社の中でどうキャリアを描くかだけではなくて、どのような人生を描き、それに伴って会社ではどういうキャリアを描くかを考えてもらうようにしています。
坂本さん:個人的に面白いなと思うのは、「ブラザー以外のキャリアも、両方描いてみましょう」という課題があるんですよ。自由に自身のキャリアについて話すのですが、私が参加したチームには「うどん屋をやりたい」という方がいて、「うどん屋ですか!いいですね!手打ちですか?」といった風に、会社の外に目をむけて和気あいあいと話し合うんです。それがとても新鮮で。
自分の人生における可能性を具体的に描く中で、「やっぱりブラザーではたらきたい」と感じられれば、「何歳までにこうなっていたい、そのために今何をすべきか」という近い目標を能動的に考えていけますよね。
──多様な選択肢を考えたうえで、自ら決定するプロセスは、“はたらくWell-being”の実現にも重要な要素とされています。
坂本さん:自分が幸せに生きるために、どうはたらいたらいいのか、といった考え方は、昔からブラザーにあるんですよね。今回の制度改革は、これまで大切にしてきたブラザーの価値観を改めて認識し、人事ポリシーや人事制度へと整えていく取り組みでもありました。
未来に向けた挑戦。「一律の制度」から「多様な仕組み」へ
──ところでお2人にとって、ブラザー工業ではたらくことで感じられる幸せは、どのようなことでしょうか?
坂本さん:私は、「あなたにこの仕事を頼む理由や期待」を伝えてくれる文化があるところが好きですね。期待されると純粋に嬉しいですし、「応えたい」という気持ちが湧いてきます。自然と仕事が楽しくなるんです。それが私にとっての一番の“はたらくWell-being”かもしれません。
岡田さん:人に恵まれていることですね。今回の人事制度改革においても、役員や他部署のメンバーを含め、人事部の仲間と議論を重ねてきたプロセスそのものが、私にとっての“はたらくWell-being”だったと感じています。制度案がまだアイデアの段階だった時から、皆さんが「我々ブラザーとしてどうしていくか」を真剣に考えてくれました。推進する上での何よりのモチベーションになりましたね。
──今後の展望を、お聞かせください。
岡田さん:今回の人事制度改革については、「ようやくスタートラインに立った」という段階です。制度は整えましたが、それだけで組織が変わるわけではありません。いくら良い制度をつくっても、現場に根づかなければ意味がない。今後は、運用と浸透をしっかり行っていく必要があります。従業員一人ひとりが「自分たちも変わろう」という意識を持てるよう、時間をかけて丁寧に伝え、運用していくことがとても大事だと思っています。
坂本さん:その通りですね。そして、従業員が自ら挑戦しやすい環境をつくるためには、制度だけでなく文化の変革も必要です。私は現在、人事労務を担当していますが、力を入れているのが、はたらき方そのものの見直しです。例えば、在宅勤務の正式導入、柔軟なフレックスタイム制度の整備、社内複業の導入など、多様な従業員が自律的なはたらき方を推奨する取り組みを進めています。
一連の改革は、単にルールを変えるのではなく、「従業員のはたらき方の自由度を高め、真の自律と挑戦を後押しする」という意図があります。その挑戦の先に、会社としての成長を期待していきたいです。
