LINEヤフー株式会社が運営している、サステナビリティに特化したWEBメディア「サストモ」(旧「Yahoo! JAPAN SDGs」)。今回紹介するのは、「サストモ」統括編集長の長谷川 琢也さんです。
長谷川さんは、2003年にヤフー株式会社に入社。2011年、自身の誕生日である3月11日に東日本大震災が発生したことをきっかけに、宮城県石巻市で復興に携わるようになりました。2012年7月には、東北エリア拠点「ヤフー石巻復興ベース」を開設。さらに、漁業を「カッコよくて、稼げて、革新的」な新3K産業に変える漁業集団「フィッシャーマン・ジャパン」も立ち上げました。
デジタルを中心とした仕事と、第一次産業である漁業に関連する仕事。フィールドの異なる2つの仕事こそ、長谷川さんの“はたらくWell-being”だと話します。どのようにキャリアを築き、仕事観を得てきたのでしょうか。
プロフィール:
長谷川 琢也さん
1977年3月11日生まれ。自分の誕生日に東日本大震災が起こり、思うところあってヤフー石巻復興ベースを立ち上げ、石巻に移り住む。被災地の農作物や海産物、伝統工芸品などをネットで販売する「復興デパートメント(現エールマーケット )」や、漁業を「カッコよくて、稼げて、革新的」な新3K産業に変えるため、地域や職種を超えた漁業集団フィッシャーマン・ジャパンの立ち上げに従事。
現在は持続可能な地域や社会をつくるため、LINEヤフー株式会社では地域の脱炭素事業を後押しする「地域カーボンニュートラル促進プロジェクト」や、サステナビリティに関するニュースやアイデアを届けるプロジェクト「サストモ」の統括編集長などを担当。フィッシャーマン・ジャパンのノウハウの全国展開にも取り組んでいる。「はたらくWell-being AWARDS 2025」ビジネス・行政部門部門を受賞。
目次
両極の「間に立つ」はたらき方が、“はたらくWell-being”
――WEBメディア「サストモ」の統括編集長と、漁業集団「フィッシャーマン・ジャパン」の取り組み、かなりの振り幅を感じます。改めて、お仕事について教えてください。
今は、LINEヤフー株式会社の一員として「サストモ」の統括編集長を、そして、漁業を「カッコよくて、稼げて、革新的」な新3K産業に変えることを目指して2014年に立ち上げた一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの運営も行っています。認識としては本業と副業で、平日は「サストモ」の統括編集長の仕事をしていて、休みの日や平日の早朝・夜にフィッシャーマン・ジャパンの仕事をしています。
ただ、本業と副業といっても、フィッシャーマン・ジャパンはもともとヤフーの復興支援プロジェクトがきっかけで立ち上げた背景があるので、完全に切り分けているわけではないんです。個人的にもなかなか線引きが難しくて(笑)。
――本業での取り組みが、結果的に副業になった?
はい。もともと東日本大震災の直後は、個人でボランティア活動を行っていたんですね。そのなかで、ヤフー社員である強みを活かせないかなと思い、震災から約1年後、CEO交代とともに復興支援の専門部署が社内で立ち上がり、メンバーとして参画しました。そして、東北の農作物や水産加工品・工芸品などを販売するECサイトを使ったコマースプロジェクトを企画したんです。
漁師の方々とは、ECサイトに出品してもらう商品の交渉を通じて出会いました。彼らの熱意や面白さに圧倒され、「復興支援」という形にとどまらず継続的に何かをしていきたいと思い、2014年に一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンを設立しました。その後、2021年に10年という節目とコロナ禍が重なったこともあり、会社としての復興支援プロジェクトは一旦区切りを迎えたんですね。その後、副業として関わるようになりました。
――IT業界ではたらきながら地方産業に関わるというのは、なかなか珍しいキャリアだと思います。
一見するとそうですよね。ですが僕は、これまでのキャリアを通して、この両極の間に立つことが自分の役割だと感じています。都会と田舎、ネットとリアル、消費と生産、2つの間にある「と」の部分を担うことが、僕の“はたらくWell-being”であり、よいバランスでもあります。長年真ん中に立ち続けてきたからこそ、どちらかに傾くと崩れてしまうと思っていて。究極的には、「両方やってないと死んじゃうかもな」とまで感じています。
――間に立つことが長谷川さんの役割。ファーストキャリアでは、どんなお仕事をしていたのでしょうか?
前職は、ITエンジニアをしていました。ちょうど僕が就職活動をしていた頃は就職氷河期真っ只中で、IT業界が伸び始めていた時期だったんです。文系も理系も関係なく「これからはITだ!」という風潮があり、縁があってITベンチャー企業に入社しました。大学生のときに、今でいうWEB制作会社でアルバイトをしていた経験が評価され、そのおかげで入社できたんですよね。
エンジニアとしてプログラミングをしていましたが、徐々にエンジニアと企画職やデザイナーとの間に立つディレクターの役割を担うようになりました。エンジニアの気持ちが分かるのはもちろん、アルバイトの経験により制作側の気持ちも分かる。お互いの言いたいことを間に立って取り持つ形で、この頃から調整役を任されることが多かったですね。
“シーソーの真ん中”で支える、絶妙なバランス感覚
――それから、なぜ当時のヤフー株式会社に?
前職はクライアント先に常駐するはたらき方だったので、自社サービスや自社プロダクトを持つ会社で、社内のメンバーと一緒にはたらいてみたいと思い始めたんです。転職活動中、ふとアルバイト時代に先輩から言われた言葉を思い出しました。「何か分からないことがあったら、とにかくヤフーを開いて調べてみろ。なんでも出てくるから」と(笑)。思えば、僕がWEB制作会社でアルバイトできたのも、就職氷河期で社会人になれたのもヤフーのおかげだなと感じて。ちょうどディレクター職に近い募集があったので応募し、入社しました。
――そう思うと、長谷川さんとヤフーとの付き合いは大学生の頃からですね。
四半世紀ほどの付き合いになりますね(笑)。入社後はディレクターとして、エンジニアをはじめとする制作職と、アイデアを出す企画職の間に立ち、ひたすら“翻訳”していました。どの職種も自分の仕事に誇りを持っているからこそ、それぞれにこだわりや譲れないものがある。ただ、うまく間を取り持つ人がいないとプロジェクトは平行線を辿ってしまいます。僕が間に立つことで、「こうしたらどうですか?」「忙しいと思うので、ここは僕がやります!」とうまく調整しながら、ちょっとずつプロジェクトを前に進める、そんな役割でしたね。
――間にいてくれる“翻訳者”の役割は重要ですが、板挟みで辛くなりそうなイメージがあります。
それほどではなかったですね。というのも、「俺がいないと進まないよね」という自負もあったんです(笑)。エンジニア職も企画職も、「良いプロダクトを作りたい」「良い仕事をしたい」という想いは同じ。それこそ、ただ共通言語がないだけなんです。両者にとって、翻訳する僕の存在が必要だし、僕が役割を全うするためにも両者が欠かせない存在です。
僕は間に立つ者として、常に中立な立場でいることを心がけています。よくシーソーで例えるのですが、どちらかに傾くのは良くなくて、片方に忖度したり遠慮したりすることなく、絶妙なバランスを保つ。プロジェクトを前に進めるエンジンでもあり、衝突を避ける緩衝材でもあるんですよね。
「早生まれ」で育まれた、“間に立つ”というアイデンティティ
――そうしたバランス感覚は、はたらく中で身につけていったのですか?
それもありますし、僕自身の性格や性質も影響していると思います。僕、誕生日が3月11日で生まれたときから弱い立場だったんです。
――弱い立場?
日本では1月〜3月は早生まれと言いますが、幼稚園や小中高のクラスの中でいうと4月生まれの子と約1年の差がありますよね。とある研究では、14歳〜15歳頃まではその約12か月の差が埋まらず、身体能力や成長で劣る傾向があるそうです。僕も周りと比べて身体のつくりはもちろん、足も遅くて運動も苦手。いつも同級生の側についていって教えてもらったり、心配されたり、可愛がられる存在でした。
なんですけど!これが数奇な運命といいますか、兄弟の中では長男で、親戚の中でも僕が一番年上でした。さらに、小学生のときに住んでいたマンションの子どもたちの中でも年上で、僕が面倒を見る立場だったんです。クラスでは一番下だけど、家に帰ると一番上。昔から、どっちの気持ちも分かる環境だったんですよね。
――ついていく側の気持ちも分かるし、仕切る側の大変さも分かる。
そうそう。そういえば、小学生のときに友達から「長谷川は平等だよな」と言われたことがあります。活発な子とも、おとなしい子とも分け隔てなく接していたからか、「裁判官になれよ」なんて言われたことも(笑)。幼い頃から「間に立つ」というのが、僕のアイデンティティの1つだったんだと思います。
また、3月生まれで弱かったこともあって、人より劣等感が強いんですよ。「自分は弱くて何もできない」と思っていたからこそ、「俺を頼ってくれるなら、全力で応えたい」という気持ちが生まれました。それは今、はたらく上でのベースにもなっています。個人ではたらくよりもチームをつくり、みんなではたらくほうが好きだし、生産者の方々にお会いしたときは自分にはできないことだから「すげえ!」「カッコいい!」って気持ちの振り幅が大きい。それゆえに、携われるなら個人としてでもいいから続けたいと強く思いましたね。
――お話をお伺いするまで、長谷川さんの多岐に渡るはたらき方から、推進力や決断力がある方だと思っていました。
いやいや、全然です!気持ちの根底には今でも劣等感があって、どちらかというと基本はネガティブ思考。すごく迷うし、「ああしなきゃよかったかな」とうねうね考えてしまうことも多いんです(笑)。でも、だからこそ、そんな自分がつまらない選択をしたらダメだと思っていて。
何かを決めるときに大事にしている言葉があるんです。それは「ヤフー石巻復興ベース」ではたらいていたときの上司で、元ヤフー社長、今は東京都副知事をされている宮坂 学さんが言っていた「迷ったら、ワイルドなほうを選べ」という言葉。迷って悩むけど、最終的には「どっちが面白いかな」と考えるようにしています。
「行き当たりバッチリ」で、巡り合いを大切にする
――LINEヤフー株式会社に入社し、20年以上が経ちました。今後のキャリアについて、独立などは考えていますか?
僕、会社がすごく好きで、まだまだ恩を返しきれていないと思っています。今日に至るまで社会人を続けてこられたのは、本当に「Yahoo! JAPAN」という検索エンジンのおかげなんですよ(笑)。大学生のアルバイトから始まり、今ではいちメンバーとしてはたらけていることが誇らしい。入社してからは復興支援をはじめ、さまざまな経験を積ませてもらいました。検索エンジンに加えて、広告、オークション、メディア、今ではSNSの大手、LINEもサービスになり、ずっと新鮮で面白い。しかも、有難いことに多くの方が弊社のサービスを利用してくださっていて、多くの人に利用されるサービスに携われていることが純粋に嬉しいです。
そして、本業と副業を持ち間に立っているからこそ、両者をうまく近づけられたらいいなと思っていて。たとえば、地方のアナログな漁師がYahoo! JAPANをはじめとするデジタルの世界に興味を持ってくれたら嬉しいし、都会の消費者が地方の生産者へのリスペクトをより持ってくれたらいいなとか。2つをつなぐのは俺にしかできないし、「俺がやらなきゃ」という使命感を持っています。
――本業と副業が循環するはたらき方は、まさに長谷川さんならではだと感じます。これからの目標を教えてください。
実はあまり計画するのが得意ではなくてですね……。以前、知り合いから「行き当たりバッチリだ」と言われたことがあって、まさにそれだなと(笑)。予期せぬ出会いや巡り合わせ、縁や恩で今の自分がいるので、これからもそれらを大切にしていきたいです。出会ってしまったり、知ってしまったりした魅力的なコトやモノに対して、自分が役に立てるのであればできる限りのことをしたい。
ただ、社会人としてはたらける時間の終わりも見えてきている今、より洗練していきたいですね。なんでもかんでも魅力的だからと手を出してしまうと、どれも中途半端になってしまう可能性も出てきます。自分のスタンスは変えずに、さらに研ぎ澄ませてはたらいていきたいです。