創業は明治26年。お酢屋として120年を超える歴史を引き継ぎながらも、新しさを取り入れて進化を続ける、京都府宮津市の飯尾醸造にお話を伺いました。伝統的な製法を守りながら、従業員たちのWell-beingにはどう向き合っているのか。また、日常的な調味料に意識を向けることで私たちの暮らしにどんな豊かさが実現できるのか。株式会社ウエダ本社の岡村 充泰さんと、COS KYOTO株式会社の北林 功さん、場とつながりラボhome's viの嘉村 賢州さんと一緒に探っていきます。
プロフィール
飯尾 彰浩
株式会社飯尾醸造5代目当主。東京農業大学大学院修了後、米系大手飲料メーカーにてメーケティングや営業教育として勤務後、地元宮津に戻り2012年から現職。伝統的な製法を引き継ぎながらも「富士酢プレミアム」や「ピクル酢」といった新商品、2017年にはイタリアンレストランacetoの経営など、社会性と経済性を両立した経営を実践する。
この記事でわかるポイント
- 飯尾醸造は創業明治26年、無農薬米を使った伝統製法で100日以上かけて酢をつくる希少な蔵元です
- 「モテるお酢屋。」を経営理念に掲げ、顧客・社員・生産者・地元に愛される経営を実践しています
- ブランディングは広告や営業に頼らず、既存顧客との信頼構築と体験価値の提供を重視しています
- 社員のWell-beingや地元還元を意識し、無償で自社製品を提供、地元には収益の一部を還元しています
- 品質へのこだわりから不安がある原料酒を廃棄する判断を行うなど、誠実な姿勢を貫いています
最初に、飯尾醸造さんの経営に関する想いや活動について教えていただけますか。
飯尾さん:うちは「富士酢」というお酢を作っている醸造所でして、売上規模で言うと4億円程の小さなお酢屋です。事業のメインはお酢づくり、その他にイタリアンレストランと、カウンター6席の鮨屋、それと講演などをさせてもらうこともあります。
他のお酢屋さんとの決定的な違いは、お酢の作り方です。今市場に出ている多くのお酢は、95%濃度の醸造アルコールを添加して作られているのですが、うちは創業以来変わらない伝統製法を続けています。無農薬の米を使って、杜氏が麹から日本酒をつくり、それを原料にして約100日間を掛けてお酢にするんです。大手製品と比べると原材料費は50倍、時間も50倍掛かっていて、これを全て自社でやっているお酢屋は恐らく世界で唯一だと思います。そのため規模は小さく、生産量の国内シェアは0.06%といったところです。
伝統製法で100日以上を掛けるお酢
北林さん:アルコールを添加するお酢が多いことに驚きました。
飯尾さん:醸造アルコールは消毒液になるものなんですが、それを添加することでお酢の前段階であるお酒をつくる手間と設備をスキップできるため、製造がとても早いんです。発酵期間を飛ばしてすぐにお酢っぽいものが出来上がるので効率を重視された手法です。
それをうちでは、契約農家や自社生産のお米を使って麹から作っています。醤油やみりんなど麹を原材料にする調味料メーカーでは、2〜3日で自動的に麹ができる装置を使っているところがほとんどですが、うちはそれも手作業で行なっています。どちらがおいしいというよりも、これをすることが伝統の発酵文化でもあると思うんですよね。
お酢に使われるお米の量も、醸造アルコールを添加するお酢だと、1リットルのお酢を作るのに40グラムのお米で済むんですが、うちではレギュラーの「富士酢」1リットルにお米は200グラム、つまり5倍量を使っています。「プレミアム富士酢」にいたっては8倍ほど使っていて、ウチが使う新米は単価自体が他社の7〜8倍するので、全材料費だけで50〜60倍なのはこうした違いがあります。
飯尾さん:お酒のもろみは大きなフネと呼ばれる装置で絞った後も、他のお酢屋さんの製法とは大きな違います。一般的には全面発酵と呼ばれる8時間から2日で仕上がる手法ですが、うちでは静置発酵といって、100〜200日間の発酵期間を取っています。
タンクの中は、一番下に種酢という発酵のスターター、絞ったお酒、それから酒蔵の水が入っています。はじめに100年以上受け継いでいる酢酸菌膜を液面に少し置いてあげると、数日で表面全体に膜を広げるんです。比重の軽いお酒が上がってきて、液面でお酢の菌に食べられることでお酢に変わり始め、お酢になると比重が重いので下に下がる。この対流が起こることで、酸味や旨みが引き出され、じっくり時間を掛けた方がまろやかお酢に仕上がっています。
競わないブランディングを目指す
飯尾さん:製造は蔵人たちに任せていて、私自身はブランディングや商品開発などを主にしています。経営は基本的には「競わない」ということを肝に命じています。小さな蔵ですので、こちらから動くプッシュ型ではリソースの限界もあり、完全にプル型で、且つ確実なブランディングを目指してきました。
大学入学から10年ほど東京にいまして、大学院の後コカ・コーラジャパンでマーケティングや教育などに関わった後、29歳で宮津に戻りました。いわば世界的ナンバーワンブランドの企業から、サイズとしては小さなお酢屋に戻った時、「大手メーカーの真逆をやろう」と決意したんです。広告宣言なし、営業マンなし、ECサイトへの出店もなし。新規のお客さんを振り向かせるためのことよりも、まずは既存のお客さんのためにできることをする。そう決めて続けているうちに、メディアで取り上げていただいたり、口コミなどが増えて、結果的に新規のお客さんも増えてきました。
小さいメーカーだからこそ、マーケティングは相手の力を利用する合気道的な手法をとっています。2012年に「ピクル酢」という商品名のピクルス専用のお酢を開発して、これまでに70万本くらい売れているんですが、「エコのお酢」としてご紹介したんです。家庭で出たちょっとした余り野菜を刻んでこれで漬ければそれだけでおいしいピクルスができると、その後に大手のメーカーからもピクルス専用のお酢ができてマーケットに参入したので、結果的には食品ロス削減にも貢献したと思っています。
経営理念は「モテる」お酢屋
飯尾さん:先代から引き継いだ時、それまで父が言っていたことや祖父がやってきたことを言語化して経営理念を作りました。うちの経営理念は「モテるお酢屋。」です。お酢を中心にして、買って使ってくださるユーザーの皆さんと働いている社員、そして取引先の皆さんと生産者の仲間、私たちに欠かせない地元と原料生産者、この6者からモテる存在であるために何をしたらいいのか、と優先順位を意識しています。
飲食店経営や、他社の役員や色々な団体に関する活動もしているのですが、それでもコアにあるのはいつでもお酢です。再エネのハチドリ電力と契約して、うちで使う電力の90%以上を再エネにしているのも、お酢の原料である無農薬栽培のお米を作るための環境保全につながるからです。こうして常にお酢がコアにあって、6方のステークホルダーたちからモテることが良いお酢づくりにつながる。僕自身、こうしてモテるお酢屋と言っている以上、常にお酢のことを考えるために、「これはモテることにつながっているのか?」とこの経営理念を自分自身への戒めとしても捉えています。
特に数年前から地元への貢献も大事にしていて、毎年平均15%ぐらいはキャッシュが残るように経営をし、その一部を地元に還元するようにしているんです。2007年に作ったイタリアンレストランも、古民家を買ってリノベーションに1億くらい掛かりましたので、商売としては赤字なんですが、でもこの街を強くして結果的に自分たちの事業に返ってくるようなかたちでできたらと思って続けています。
初代が日本酒蔵ではなく、お酢を選んだのはなぜだったんでしょうか。
飯尾さん:うちは元々農家で、近隣の方に土地を貸していたそうなんです。借地料としてのお米が毎年入ってくるので加工品を作ろうとしたとき、すぐ近所に酒蔵があって、競合しないようにお酢にしたと聞きました。その酒蔵がなくなった後もお酢だけできました。創業時から地元での競合を避けているということでありますし、もう一つ、お酒は一晩で1本無くなることもありますが、お酢は1〜2ヶ月もつものです。消費のスピードが違うので、もしもお酒を作り始めていたらお酒が忙しくてお酢をやめていたかもしれません。でも昭和50〜60年代には日本酒の人気が大きく下がったことがあり、そしたらきっと苦しくなって潰れていたかもれない。お酢だけを選択した先祖には感謝ですね。
「体験」の提供が好感や共感につながる
飯尾さん:無農薬米に切り替えたのは祖父の代で、父の代では自社の田んぼも始めました。契約農家さんにお願いする原材料が97%、自分たちで育てるお米はたった3%で、自分たちがやらない方が経営的には良い数字が出ると思うんですけど、でも棚田の景観保全であり、自分たちの製造に関わる意識として続けています。
うちの棚田はトトロの森みたいな山の近くにある、気持ちのいい棚田です。最初は蔵人たちだけでやっていたんですが、都会の人にとってはとても楽しいので、田植えや稲刈りの体験もお客さんが参加できるイベントにしました。コロナ禍前までは、海外を含めて2,000人以上が参加してくれているんです。こういう体験が好感や共感を生んで、モテにもつながっていくと思うんですよね。
「手巻きすし酢」を作った後、8年ぐらい前からは「手巻キング」という名前で手巻き寿司パーティーをやっていました。ほとんど個人のお客さんなんですが、ここで酢飯をたくさん作って得た知見をBtoBに応用して「江戸前シャリ研究所」を立ち上げました。そこでは年に1度、お鮨屋さんだけが参加できる「世界シャリサミット」というイベントを宮津で開催しています。世界中から50人、中にはミシュランの星を持っているような人を含めて鮨職人が宮津に集結します。これを機会にこの地域で宿泊してくれる人を増やしたいと思って、必ず宮津で開催することにこだわっています。
丹後を日本のサン・セバスチャンにしたい、といろんなところで話していた時期があります。ヨーロッパの美食の都と呼ばれて世界中の人が集まるスペインのサン・セバスチャンにならってのことで、とても難しいことだとわかっているのですが、虎の威を借りることによってメディアが取り上げてくださったり、巡り巡って町の活性化につながるなと思ってのことでした。
岡村さん:50年くらい前からの無農薬米は、たしかJAより高い金額で契約農家さんに頼んでいるんですよね。
飯尾さん:契約農家からはJAの3倍くらいの金額で買わせてもらっています。農法にこだわる分、農機具もうちで買ってお渡ししています。祖父が無農薬に踏み切ったのは50年前、前回の東京オリンピックの時だということでしたので1964年ですね。高度経済成長期真っ只中、農家の仕事は効率化して、子どもたちは都会に出し日本全体を工業国にしようという時代です。農業を楽にするために今よりも毒性の強い農薬が使われていて、農薬散布後は子どもたちに入らないようにと田んぼに赤い旗が立てられたりしていたそうです。フナやドジョウがいなくなるのを見た祖父が、これでお酢を作っても良くないと思ったそうです。もちろん生産者さんには大変なことなので、説得には時間が掛かり、祖父はこの漁港で手に入れた新鮮な魚をお土産にしながら3年掛かって説得したと聞きました。時代を考えるとすごい決断と行動力だなと思いますね。
嘉村さん:無農薬のお米ってすごく難しいって聞きます。
飯尾さん:今は除草機などがありますが、昔は本当に大変だったと思います。今はお米の圃場に黒い紙を敷きながら苗を植えることで雑草の発育を抑えながら栽培をしています。契約農家さんにはその紙と苗を同時に操作できる専用機械が必要で、それが400万円ぐらいするんですが、紙も機械もうちで買ったものをお渡しするので、他の農家さんよりコストは抑えられるはずなんです。それでいてお米の買取り価格は3倍なので、結果的にうちの米を作っていただいた方が農家さんの収入は増える。こうして祖父の代から生産者との二人三脚を続けています。うちとしてはこの関係性に支えられているところはかなり大きいので、もしも50年前に祖父が決断していなかったら今頃潰れていたかもしれませんし、20年前には父が自社の田んぼを決意しているので、時代ごとにそれぞれの意思決定を重ねてきたんだなと実感しますね。
5代目の活動でもコミュニティが広がっていますね。
飯尾さん:そうですね。コミュニティとしては広がっていますが、実はお酢の生産量は20年前の父の代より2割少ないんです。以前に比べて契約農家さんも減っていて、全体としてお米が減った分お酢を作る量も減らさざるを得なくなっています。しかし、量が減っても売上と利益が伸びるようにと考えてきたので、売上は20年前より4割増です。スタッフの数も倍ぐらいになりました。
今後もお米の生産量はキープしたいので、農家さんを増やす施策を考えたり、別の新しい丹後の農家さんと契約したりするつもりです。とはいっても丹後の農家さんなら誰でもいいわけではなく、農薬を使用する田んぼと隣接している場合もあるので、農家さんというより圃場単位で契約しています。一箇所ごとにお米のサンプルを取り、玄米ではなく籾の状態で293種類の残留農薬検査に掛けて化学物質を検査し、不検出のものだけをうちの倉庫に入れてもらいます。
作ったお酒の20%を捨てる判断
岡村さん:従業員の皆さんは、専門領域を持ちながら、必要な時は集まって助け合うような感じでしょうか。
飯尾さん:そうですね。それぞれの専門作業があるのでみんなで集まる機会も早々ないので、作業を手伝いあうのもそれはそれで楽しさもあると思います。
あとコロナ禍前までは最低でも2ヵ月に1回ぐらい、パートさんも含めて会社経費での食事会をしたりしていました。
飯尾さんご自身がお酢を真ん中にして社会貢献や社会的な思考があるようなことは、みなさんにはどのように浸透されているのでしょうか。
飯尾さん:どうでしょうか、人によって色々かもしれません。これまでは、飯尾醸造に入りたくて希望をくれるというよりも、求人を見て面接にきてくれた地元の人が多いんです。うちは残業もほぼないですし、土日は休みなので、パートさんも含めて働きやすいのかもしれません。ただそれでも、初めは特に興味があったわけじゃないけど、はたらくうちに興味が出てきたとか、あるいは、入った時は独身だったけど入社後に結婚や子どもができたことで食べるものに興味が強まり、自社製品や職場を見直してくれる人もいます。
それと最近は、どうしてもうちに入りたいという人が応募してくれたり、東京の学生がインターン希望と連絡をくれたりしています。ご両親が富士酢を買ってくださっていて小さい頃から何度もきたことがあるとか聞くと、こうやって見てくれていた人もいるんだな、と思いますね。
うちの従業員は社員もパートさんも、自社製品は全部タダです。期間や本数に制限もなく、決まった用紙に希望を書いて出してくれるだけです。製造でも販売でも、一人ひとりの全ての仕事が関わっているのに、例えば他社のお酢よりも高いから自宅では他のお酢を使っていたりしたら、なんか悲しいじゃないですか。意地みたいな気持ちもあるんですけど、でもお酢が全部タダなので、その分ちゃんと作られた醤油とかみりんを買ってね、と話したりはしています。
うちの従業員は、すごく真面目で優しい人が多いんですよ。実は少し前に、せっかくできたお酒を約10トン廃棄したんです。お米をすくう際、移すのに新しい道具を使ったらその取っ手の木材が合板だったと後からわかったんですね。合板は接着剤で固めたものなので、念のためと心配した杜氏から報告を受けて、破棄を決断しました。捨てるのにも数百万、原材料のお米代でも1千万円ほど掛かりましたし、何よりも作ってくれた農家さんに申し訳なくて、本当につらかったです。仮にあのお酒を分析に掛けても絶対検出されない量だと思いますし、お酢になったらさらに3倍に薄まるので、よその蔵だったら普通に出荷しているでしょう。おそらく報告してくれた杜氏も捨てる判断をするとまでは思ってなかったかもしれません。ただ、お客さんの中には、ものすごく少ない割合ですが化学物質過敏症の方もいるので、不誠実なことはできない。そして、ちゃんと考えて自ら報告してくれたことに感謝しています。
その報告ができるというのは、組織として大事にしている価値観が共有できているからこそだと思います。捨てる判断をしたことに対して、皆さんの反応はどうでしたか。
飯尾さん:やはりどうしてもお酒を作るメンバーたちは意気消沈でしたね。実は販売用のお酒も始めることを考えていたのですが、今年はまだできないということになりました。
岡村さん:何か普段から、ここだけは守っておいてほしいといった価値観みたいなことを伝えたりはしているんですか?
飯尾さん:一応、性善説で生きているつもりではあるので、社会にとって良いだろうと思うことをしてきたつもりではいます。社員としてもそこに共感してくれて、私の考えることに則って仕事をしようと思ってくれているとは思います。
お酢の杜氏はハタチぐらいからうちで働いてくれている人で、すでに37〜38年の勤務歴がある人です。私が小学校の時には昼休みにキャッチボールしてもらったりしましたし、すごく優しい人で、それが後輩や周囲の人にも伝わっているように思います。
酒作りの時期はどうしても仕事に追われるんですね、あと田植えや稲刈りの時期も仕事が集中して忙しくなります。一般の酒蔵の場合はお酒を作る冬がものすごく繁忙期で、夏場はある程度ゆったりしているんですが、うちはお酢蔵であってさらに米から作っているので、そのゆったりしたタイミングがないんです。そこは少し大変ではあるんで、月に1度は蔵人のミーティングをするなど、適度にお互い確認しあうような機会を作ったりはしています。
彼らにしたら色々不満もあると思うんですよね。うちは組織として特に強いわけでも、私自身のマネジメント能力が高いわけでもないので、みんなも思うことはあると思うんですが、社員たちの真面目さに感謝しています。

