戦後日本の働く価値観をアップデートする。はたらくWell-beingとは?

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リモートワーク、兼業・副業やフリーランス。コロナ禍で一層働き方のバリエーションが増えています。一方で私たちの働く価値観、それ自体にはこれまであまり焦点が当たってこなかったのではないでしょうか? 私たちがはたらくことを通じて感じる幸せや満足感とはいったいどういうものなのでしょうか?
そのヒントになりそうなのが、最近色々な分野で耳にするようになったWell-being(ウェルビーイング)という概念です。
このはたらくWell-being Lab.では、ユニークな取り組みや価値観を持つ企業のインタビューや有識者との対話を通して、これからの私たちのはたらくWell-beingとはどういうものなのか考えていきます。このプロジェクトは特定非営利活動法人ミラツクとともに運営し、加えてこちらの3名と一緒に進めていきます。
第1回目となる今回は、ローカルな企業での事例をもとに一緒に考えていきます。

北林 功
COS KYOTO株式会社 代表取締役。大阪市立大学法学部卒業後、エネルギー系企業にて関連設備の営業に従事。人材育成コンサルタントとして転職した後、同志社大学大学院ビジネス研究科での「文化ビジネス」の研究を経て起業。COS KYOTO株式会社を設立し、「自律・循環・矯正する心豊かな社会を構築する」というコンセプトで多くのプロジェクトを進行する。

岡村 充泰
株式会社ウエダ本社 代表取締役。繊維専門商社瀧定株式会社に入社後30歳で独立創業。輸入貿易を行った後、長年赤字であった家業のウエダ本社再建の為、2000年同社の代表取締役副社長に就任。負債整理、子会社合併を経て2008年より無借金経営へ。第二創業期をリードする。

嘉村 賢州
東京工業大学リーダーシップ教育院特任准教授。組織づくりやまちづくりの調査研究を行うNPO法人場とつながりラボ home’s vi代表。研究領域は紛争解決の技術、心理学、脳科学、先住民の教えなど多岐にわたり、実践として年に100回以上のワークショップを行う。『ティール組織(英治出版)』解説者。

聞き手・西村 勇哉
大阪大学大学院人間科学研究科修了。2011年にNPO法人ミラツク設立。領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、大手企業の事業創出、研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来潮流の探索などに取り組む。理化学研究所未来戦略室イノベーションデザイナー、大阪大学SSI特任准教授

ローカルなはたらき方を通して考えるWell-being

西村:今日は、日本国内のローカルな会社におけるはたらき方を紐解きながらWell-beingを考えたいと思っています。そのためにお三方それぞれに違った視点を示してもらいたく、岡村さんには「地域における良い企業とはなんだろうか」という観点を、嘉村さんにはティール組織を含めた「良い組織の在り方」について、そして、北林さんには「長い歴史のある地域における市場の捉え方の変化」に関してお聞かせいただけると嬉しいです。では早速ですが、北林さん、三輪素麺のお話からお願いできますか。

北林:三輪素麺とは、奈良県桜井市で作られる素麺のことで、毎年ご神託によって価格を決めることになっているんです。神主さんらによる「ト定祭(ぼくじょうさい)」という場でその年の値段が発表されるというのが特徴的で、価格を決めるために市場やユーザー動向といった観点とはまったく別の、神に問うて従うという仕組みが残っています。
起源は1300年ほど前だとされているのではっきりわかるものではないのですが、僕の個人的な解釈を含めたお話をすると、三輪素麺はこの手法によって「より良いかたちで、資本主義のちょうど良い落としどころにたどり着いた」、と言えると思います。たとえば素麺の価格や利益を一部の企業が寡占してしまうと市場の成長として良くないですし、過当競争になりすぎて品質が落ちてしまったり、お互いが憎しみ合うのも良くありません。そこで三輪素麺は神様への捧げ物であると位置付け、ある種、絶対的な中立的存在である神様に良い塩梅を出してもらうようにした。それによってこれほど連続的な性質を持てたのではないか、と考えています。
実際、神意は問うものの、中間の価格については関係者で取り決めてあり、神事ではその中間価格より高い「高値」、もしくは「中値」の通り、あるいは中値よりも安い「安値」のいずれかが書かれた紙で結果が決まるというものです。ご神託がある程度は心理的指針にはなりますが、厳密に市場価格を決定づけるものではないんですよね。それでも神様に聞く、という体を取ってみんな従わざるを得ない状況を半ば強引に作り出しているわけです。
現代の資本主義でいえば、会社同士でどんどん競争させて勝ち残ったところがまた競争を繰り返すといった方法が良しとされていますが、日本の限られた資源では、最終的に品質を落としてしまったり、市場も供給も安定しません。取り返しようのない価値は、神様への捧げものであると考える、というのが三輪素麺の文化そのものです。文化は可能性であり、それがなくなると地域コミュニティが崩壊したり、地域の産業が立ち行かないことにもなるでしょう。競争は適度に行いながら仲間同士の支え合いは継続する。三輪素麺にとってそんな程よいバランスを上手く見つけたのが現在のご神託という形なんだろうというのが僕の解釈です。

西村:私が面白いと感じたのは、同じ三輪素麺をいくつもの会社が作っていることでした。近代の市場の考え方のような、マネジメントが得意な一社にまとめようとするのとは真逆の価値観ですよね。

北林:それもまた、第三者的な神様に問うのがちょうどよかったのでしょうね。といってもキリスト教のような絶対神ではなく、神様をある種象徴のように捉えているのだと思います。実際、知り合いの宮司さんも「地域の助け合いや信頼関係の象徴が、神社の神様です」というようなことをお話していました。

西村:ではこのお話をふまえながら、岡村さんと嘉村さんにも伺いたいと思います。岡村さんのウエダ本社は「宇宙を想え、人を愛せ」という社是を掲げていますね。これは元々、昭和の中頃に先々代がおっしゃったことだそうですが、まだ誰も宇宙に行ったことなかった時代にこの言葉を掲げた真意は何だったのでしょうか。

岡村:私は当初、会社を引き継ぐ前提ではなかったので、創業者の上田安則ともそれほど会社の話はしていなかったのですが、入社して仕事をしているうちに、随分と斬新なことをしていたなと感じてきました。京都で全国の卸業を集めて業界団体を作ったりしていたんです。
当時、メーカーさんとの力関係を対等にするために、卸会社が集まって団体を作ったのですが、一番小さいウエダが全体を仕切っていたようです。それはきっと、自分の会社だけでなく業界全体にとってどうあるべきか、という発想をもっていたからなのでしょう。
社是にある宇宙も、無限に大きい存在の宇宙を思えば我々はその末端のちっぽけな存在であるけれども、発想は大きくしなさいという考え方だと理解できます。同じように「人愛せ」も大きな発想をもって人を理解したら、地域や一緒にはたらく人たちをちゃんと思いやるという、大小両極の価値を示しているものだと捉えています。

西村: 経営者として複数の判断軸をもつ1つに、宇宙という視点が入ってくる、と。

岡村:北林さんの三輪素麺のお話みたいに、複数の軸というのは常にもっているべきだと思います。宇宙の生命体の話だけで事業のことを考えるのは無理がありますが、競争することはただ悪いわけでもなく自然界でも競争は重要な出来事ですから、宇宙的な自然の摂理に沿った視点も必要な考え方ではありますよね。

西村:ではここで、組織の目的についてお話を聞いてみたいと思います。嘉村さんが思う、組織にとっての目的の価値、あるいは良い目的の在りようについて教えていただけますか。

嘉村:岡村社長のお話を聞きながら考えていたのは、イギリスのピーター・カーニングという研究者が提唱したソースプリンシプル(Source Principle)という理論のことでした。これは、卓越したプロジェクトや組織には必ずソース役と呼ばれる、大いなる目的を聴こうとする存在がいるという考え方です。
ウエダ本社の創業者のように、一番はじめに業界を組織化したり、それによって世の中に何かを成し遂げようなんて前例のないことをするのは非常に大変なわけですが、それでもできるその理由は、強欲なのか志があるかの2つがきっかけになることが多いです。まず強欲に関して言えば、周囲を巻き込むためにお金か権力を使わざるを得ない、つまり競争や管理が必要になってくる。一方、志の場合は目指すビジョンの共有が必要になってきます。生態系を広げていくかのように、関わる人たち、時には競合他社までも含めて共創していく必要があります。困難をも乗り越えられるほど、何か大いなるものに押されているような勢いが必要です。こうした事象を英語的な表現で「コール」または「コーリング」と言い、天職を意味することもあります。ウエダ本社のように「組織マネジメント」のあり方と「企業としてのコール(事業内容)」の両方にしっかり哲学を持っているのは稀有だと感じます。現代の経営はそういった哲学を持つことがなく、最大化と存続だけを目的にするような組織が増えています。生き残るために下される経営判断が増えていくと、短期的な戦略が多くなり、社会はむしろ持続不可能なかたちになってしまうんです。

西村:マネジメントと目的を聞く、この2軸は役割として分けられるものですか?

嘉村:最近ではそこを分けたほうがいい、という理論も生まれ始めていますね。経営者は、ビジョンを描き、戦略を立て、数値を管理し、社員のモチベーションを保ち、問題が起きたときの解決もするし、会社の顔にもなる、といったようにとても役割が多い。それがヒエラルキーをつくりだす源泉にもなってしまうので、そうしたことを避けるためにも、分散型の組織が生まれ始めていると考えられます。

西村:一般的に言えば、経営における「組織の目的性」と「戦略」という役割が、同じ人の中にしか存在できないと思われてきたけど、分けられるんですね。

嘉村:もともとの歴史を見るとそうした事例が多くて、面白いんですよ。例えば卑弥呼の存在や、沖縄だったら男性中心の管理下に置かれていた首里城は、聞得大君(きこえのおおぎみ)と言われる琉球神道の最高位が大きな方向性を示していました。儀式などを行い組織の方向性を伝える人と、実際に統率するマネジメントが分かれていたことを示していて、こうした歴史はわりと多いんです。もしかしたら、いつの間にか一人の人がするものだとした現代の主流のほうが、歴史上は不自然なことなのかもしれませんね。
例えば病死することを避けたいとか、絶対的な安全を獲得したいといった人間の欲求の中で、人々は知見を得て病気を治したり、作物を安定的に栽培できるようになるといったことを勝ち得て生きてきましたが、勝ちにばかり行きすぎると何でもかんでもコントロールしたいと思いはじめる。それまで大切にしていた精神的な物事よりも、自分の計画を思い通りにしたほうが安心できるはずだ、という思いに変わってしまったようにも考えられます。

西村:なるほど。ではそうした「直感的な感覚」と「組織としての発展」について、以前嘉村さんと株式会社シルバーウッド社長の下河原 忠道さんが話していた時のことが印象に残っています。嘉村さんは直感的な判断の整合性について繰り返し下河原さんに聞かれていましたね。

嘉村:まさに安定やコントロールといったものと直感や共感といったものがバランスを保つことは、人間活動に欠かせないことですよね。しかしこの100年くらい、コントロール主体の世界が続き、それもどんどん肥大化の一途をたどっています。
何度となく失敗を繰り返して直感を磨いてきたタイプの創業者と、ヒエラルキーの中で数的結果を出すことで出世をしてきた人たちがいる。管理職として出世を重ねて自ら経営者になった人は、もう直感に基づいた新しいチャレンジをしなくなってしまう傾向にあります。エビデンスを示すことができるような市場調査などに支えられたものだけに注力して、説明できないようなクリエイティブな挑戦はしない。おそらく今、世の中で活躍している人やシルバーウッドのように希望を伝えられる組織というのは、直感やアートなど人間的な部分のバランスが取れているからそうした価値を生み出せるのだと思いますが、それは決して簡単なことではないはずです。さらに組織の規模が大きくなったらどうするのだろう?という疑問をお聞きしていました。

西村:なるほど。その時シルバーウッドから見えたものは何でしたか。

嘉村:一つは、同社の直感や違和感が、決して業界における常識だったわけでも、何か教科書的な戦略だったわけでもなく、肌感覚や感情だったことです。それともう一つ、その感覚を現場の従業員たちに落とし込むときは、ただ委ねるのではなく、まずは一緒にやる。その中で面白さや価値や感覚、暗黙の判断基準みたいなものを関係者たちに共有していたことです。そうしたことを続けていくと、次の段階に進めるような人も出てくるので、決して少数精鋭ではなく組織としての規模拡大も成り立つという源泉を見せてもらいました。

時代を超えて続く「文化」の形成

西村:続いて、文化のことを伺いたいと思っているのですが、北林さん、嘉村さんの話にもあったように、企業の挑戦やクリエイティビティは文化の形成にも寄与しています。本来、新しい文化の誕生は経済成長とも一体だと思うのですが、最近ではなぜか「経済があると文化が廃れる」もしくは「文化的な事をしていると儲からない」といった、両立できないと言われることがあるのはなぜだと思いますか。

北林:経済とは本来、世の中を良くして民を救う「経世済民」のことでした。そして文化とは、そうした経済の結果、生まれるもの、残ったものでもありました。つまり、世の中をうまく回す中でみんなが習慣として始めたものが、良い習慣として残り、文化として確立されるんです。そのために重要なことは、経済の規模をいかに適正で抑えていられるか。もしも経済が暴走してしまうと、いい文化を残すために必要な人々の心の豊かさや穏やかさ、純粋な楽しみなどが一切内包されていない経済になってしまい、文化が生まれないんですね。
これは、世の中を支えるための信頼が欠かせないことを示しています。このお店はちゃんとしているなと頭で考える部分と、信頼できるなと心で感じる信頼があって、両方があって初めて買い物をしますよね。心で感じることで、相手との関係性も築かれていく。三輪素麺のお祭りに参加している人同士が仲間だと感じたり、潰しあいになる相手ではないと信じられるからこそ、大切なノウハウを共有したり切磋琢磨できる信頼関係が醸成されていくのではと考えています。

西村:すごく難しいなと感じるのは、相手との世界観が異なっている時のコミュニケーションです。たとえば三輪素麺のような文化や価値観が全くなかった人は、新しく輪に入っていけるものでしょうか。

北林:例えば僕が住んでいる京都には、今宮神社の前に一文字屋和輔(一和)というあぶり餅屋があるんですね。1000年も前からそこでご商売をされているのですが、もしも彼らが門前を出て百貨店のテナントに移ったり、あるいは、僕が新規参入者として、あぶり餅の味を真似して門前にお店を出しても、いずれも失敗するでしょう。もしかしたら保存料を使って長期保存できるよう工夫したら一時的にはお土産として儲かるかもしれませんが、それでも数年で潰れると思います。なぜならその仕事の意味が違うから、そして文化の意味がそこにないからですね。一文字屋和輔(一和)には、1000年かけて神社や地域との間に築いてきた、あぶり餅屋としての関係性が確固として存在しています。お参りしたらその場であぶり餅を食べる、という文化が人々に組み入れられているわけです。もしかしたら一見、お金儲けとして下手くそに思える人もいるのかもしれませんが、でも彼らはおそらく次の1000年だって続くと感じさせる。文化なのか経済なのか、どちらとも割り切れないで、もう切り離せないものにまで昇華した存在なのだと感じています。

西村:なるほど。ここで岡村さんにお聞きしますが、長い間続けている企業としては、ただ続けるだけでなく何か新しいものにしていく必要も日頃からお考えだと思います。その時にこうした、長い間守られ続けられてきた意味を潰さない、ということについてどうお考えでしょうか。

岡村:僕が思うに、さきほど出た「コール」を聞ける人や、前例なき創業者のような存在がいる間は、存続が目的になっても良いと思うんです。それは続けるという必要な役割であり、その時点では、会社を残すことや続けることが目的でもいい。問題はそうした存在がいなくなった後にどうするか、です。もしも、すでに体系化されてその会社のミッションが浸透した継承者たちが、その役割を果たしていこうとするのであれば、やはりまた同じ理由で、継続することを目的にしてもいいでしょう。しかし、人が変わればそれも難しいことなんですね。上辺だけで存続を企業の目的にするべきではないはずです。
経営における「コール」を聞く立場と「マネジメント」の両方をできるか否かは、組織上のナンバーワンとナンバーツーの違いと似た構図があります。決して能力の問題ではなく、どこまでいってもナンバーワンとナンバーツーでは見ている景色が違うんですね。極端にいえば、サラリーマン的な出世を重ねて経営者になった人が「コール」を聞けるような人材になるのかどうか、がテーマとなるでしょうね。

西村:今のお話も含めて「家業」について少し伺いたいです。嘉村さん、もしも家業で自律分散型にできた場合、後から参入した仲間も同様の価値観でいられるためには、何を大事にすべきでしょうか。それともう一つ、今の岡村さんの話にもあったナンバーワンとナンバーツーのような、役割分担を円滑にするものは何だと思いますか。

嘉村:どちらの質問にも共通すると思うのですが、先ほどもお伝えしたような、組織において大いなる目的を尋ねるソース役の存在とは、「その組織がもつ本当に創造的で深い可能性が何であるか」に常に最大限の可能性を意識している人なんです。ディーペスト・ポテンシャル(Deepest Potential)とも呼ばれていて、例えば何百年も続いている組織というのは、わざわざ続けることを目的にしなくても、ソース役が継続する可能性を最大限意識すればそれだけでいい。なぜなら、同業他社が数十年の歴史しかなく、自分たちが100年続いている組織なのであれば、歴史を活かすことがその組織にとっての圧倒的な価値であるからです。
それと同時に、社会は常に変化を続け、可能性の形が変わっていくのも事実です。特に現代は未知の可能性は膨らんでいます。デジタル社会となって、仮に200年企業であっても「継続」だけでなく「進化」も視野に入れソース役がコールに耳を済ませ、より一層意味の大きな一歩を踏み出すことが求められるような時代になりました。しかし経営者の中には、ディーペスト・ポテンシャルを意識したりコールを聞く行為において、いわば自己完結してしまっていることがあります。一人だけで考えてしまっているということです。大切なのは社内での対話を増やすこと、例えば日頃からお客さんとの接点が多い現場の従業員と対話し、社会の変革を肌で実感するなど、現場と意見交換することは重要です。組織のDNAを共有しあったもの同士は、対話を重ねれば重ねるほどに奥深い価値観を共有できるはずです。
もう一つ、近年のマネジメントにおいて、細分化や分業はまるで世紀の発明かの様にもてはやされ、そのことによる現場の痛みや誇りに対する直接体験が減ってしまいました。しかし体験がないと自ら考える人は少なくなってしまいます。管理部門や開発部門もただ情報処理をするだけではなく、何をしたらお客様に喜ばれるのか、現場関係者はどんな気持ちでいるのかなど、一緒にお客さんのところに行くなどして自分で考えるために必要な体験の機会を増やすことが大切です。
それと最後に、意思決定の機会を作ってあげることも重要です。日本の会社は上司による承認システムをとっているところがほとんどです。せっかく現場が自分で考えたとしても、最後は上の判断で決めるとなると、他人任せになってしまう。あまりに上司が意見を採用しない場面が増えると現場は積極的に考えることもなくなっていきます。だから積極的に現場判断で決めることをしてもらったほうがいいです。決めることは重たい行為ですから、徹底的に考えるはず。深く考えることで視野の広がりが生まれます。当然多少の失敗やカオスは起こるかもしれませんが、ある程度のことは見守りながら、決定の機会を増やす組織構造ができあがることで、自然とソース役が現れてくることもあります。また、マネジメントにおける「実験と標準化」と言われる考えですが、ゼロベースの実験によってイノベーションが起こり、組織の成長や安定化にはマニュアル作りやプロセスをシステム化するといった標準化が重要という考え方です。両方のバランスが非常に重要なのですが、今の経営においては過度に標準化に重きが置かれており、現場で実験する機会が減ってしまっているというのが課題であるとも言えるでしょう。

西村:ではここから社員のWell-beingについてお聞かせください。北林さんには「組織の目的性にマッチした社員のWell-beingを実現していくためにどんな組み合わせ」があるといいのか、嘉村さんには以前分類していただいた組織のWell-bingについて、さらに「社員のWell-bingの考え方」のことを、そして岡村さんには、自社や他社問わず、社員から信頼される組織の目的のあり方やコミュニケーションなど「社員からの信頼形成」についてお聞かせいただけますか。

岡村:僕自身がすごくいいと思う会社は、家族主義的な経営をされていて、信頼がベースにある会社です。例えば京都の株式会社ロマンライフもそうした会社なんですが、社員さんたちがちゃんと守られている自覚や、自分たちのことを考えてもらえていると感じる信頼関係が確立しています。顧客満足のためには「まずは社員が満足していること」とはよく言われますが、その相互関係がしっかりされているなと感じますね。

西村:確かにそうですね。では嘉村さん、Well-beingな会社5分類のことをお話いただけますか。

嘉村:良い会社と言われる在り方は時代によっても変わりますし、いよいよ完全なる正解の「良い会社」は存在しない時代に突入してきているように感じます。そこで今まで話してきた中で浮かび上がってきている会社の特徴を5つの分類にしてみました。まず1つ目は、はたらく人たちがちゃんと適材適所にいて、明確に仕事の内容やフローが示されていること。自分が何をすれば良いかわからないといった不安や、貢献できているかどうかわからないという実感のなさを解決できる会社です。続いて2つ目は、キャリア志向の従業員に対してどんどん評価をする会社です。がんばっただけの評価をきちんとしてもらえて、それによってさらにはたらく幸せが感じられたり、出世することでより挑戦しがいのある仕事ができるなど、キャリアアップにおける自己実現を構造的にデザインしている会社がこれにあたります。3つ目は、はたらく人の感覚をドライな人間関係ではなく、仲間や家族のように、人生の大半を一緒に過ごすような気持ちで大切にし、組織のカルチャーを育みながらはたらく組織。近年とても増えてきたと思いますが、それは、先ほどの成長志向のような貢献も素晴らしいことである一方で、個人主義的になりすぎて職場の関係性を軽視してしまった弊害もあった反動でもあるのかもしれません。4つ目は多様な価値観を受け入れあえる組織です。そもそも人間とはもっと多様な趣味趣向、特性や価値観をもっているのだから、仕事中に個性を横に置いておくのではなく、遠慮なく出し合って生かし合う方が良い、という考え方が背景にあります。そして、5つ目は、「何のために私たちは集まるのか」という志のような思いを大事にする組織です。元々この世に会社というものが生まれた原点のような考え方で、こうした志を共にできることで人生の幸せを感じられる、ある種、高尚な目的をみんなで共有できている組織が一旦成り立つと、指示命令は必要なく、自律分散的に動くようになります。自己裁量が大きくなって、より創造的にはたらくことができるんですね。現代ではこうした5つのWell-beingのタイプが見えてきたと思います。

図1:Well-beingな会社が大切にしていること 5分類の仮説

西村:組織としてWell-beingのかたちが移りゆくこともまた一つのテーマなのかもしれませんね。一つの状態でカチっと固めるというよりは、変わる社会の中で経営者も社員も人間なのだから、変わりながらかみ合っていくことも理想的なのかもしれません。組織自体に動きがあることについて、嘉村さんはどうお考えでしょうか?

嘉村:組織のバランスの取り方は森や生態系に近いと思います。いきなり豊かな土壌での自然農や、多様な生態系の森が瞬間的に始まらないのと同じで、まずは土壌を育てて、多様な種を蒔く必要があります。少しずつ組織のバランスを整えることは、計画的に機械の部品をいじるような変革とは違って、土壌を育むように時間をかけて慎重に、ていねいに進める必要がある。誰かに「明日からこうだよ」と言われて変わるのではなく、相談しながら一緒に変わっていくプロセスが大切で、経営者がすることはそうした組織のデザインです。自分自身を含めた組織のシステムをどう変えていくのか。それまでうまくいかなかったシステムがあったら経営者はその一端を担ってもいるので、気づきを高めて対話を重ねながら変化を育むことが必要だと思います。

西村:痛みや弱さをどう認めるか、ということですね。北林さん、組織がいろんな変遷をしながら、社員がWell-beingな状態でいられるような文化の育み方についてお聞かせください。確か以前、イタリアの事例の話をされていたと思うのですが。

北林:Brunello Cucinelli(ブルネロ クチネリ)ですね。ソロメオ村という、とても辺鄙なところにある村なのですが、そこで世界的なアパレルブランドを作っています。しかも、100年続く商品を作ろう、とか、ブルネロ クチネリではたらく人が全員幸せになれるようなモノづくりじゃないと意味がない、といった人間主義的な経営を美学にしたものづくりをしているんです。ブランド哲学を掲げて、実践も先進的です。村を綺麗にしたり、職人を育成する学校をつくって、それも、会社が学生にお金を払って学んでもらう仕組みです。世の中を良くするためのエコシステムを地域に作り上げて、非常にいいサイクルができている事例だといえます。
僕は個人的に、Well-beingの形は入る会社によって変わると思っています。会社の軸のような哲学をどう次世代の従業員に浸透させるか、それこそが文化ですよね。ブルネロ クチネリのように創業者が提示した哲学が守られていれば、次世代に移った時も文化は繋がりを見せるでしょう。ウエダ本社でいえば、岡村さんは京都という街における価値観を「京都流議定書」というイベントを開催して示して、それはまさにウエダ本社の哲学を表していると思います。きっと一年目の従業員さんたちは必死でやるだけなのかもしれませんが、何年か続けていくうちに、その目的など守破離みたいなものが腹落ちして、各自の中で熟成されていくでしょう。そしたらいつか岡村さんが退任された後でも文化は受け継がれ、迷った時や時代環境の変化でも基軸になって次世代を支えてくれるはずです。社員さんたちは体得していくんですね。地域に続くお祭りなども、たとえ最初はよくわからなくとも、大事な価値観を体得して、体験と頭で理解が深まっていくんだと思います。

西村:今回はローカルの中にあるはたらくWell-beingをテーマとしましたが、日本がもっている役割分担や、歴史と文化を背負う企業の役割など、いろんなものが見えてきました。また一つのかたちだけを正解と決めずに移ろいながら成長するというのもわかりやすく感じました。皆さん今日はありがとうございました。

今回はローカルな企業を事例に、実践や研究を続けるお三方と一緒にはたらくWell-beingについてお話をしてきました。今後は企業インタビューで具体的な事例を見ていくとともに、有識者も交えた対話の様子もお届けしていきます。