#27

おもしろい方向にリスクを取る

教育改革実践家 藤原和博さん

実践しなければ意味がない。自ら教育改革実践家を名乗り、波乱万丈でありながらも挑戦し続けてきた。
40代後半にリクルートから教育界に転身し、初の民間校長となった藤原和博さんの「はたらいて、笑おう。」とは。

更新日:2019年2月22日

会社員、フェロー、民間人校長と働き方が変化

「教育改革実践家」として、初の公立中学校民間校長や奈良市立一条高校の校長を務められましたが、前職はリクルート社。どのようなお仕事をたどってきたのでしょうか。

大学3年生までに単位をすべて取り終え、イギリスに4か月語学留学するために、割のいいバイトを探して、日本リクルートセンターで働いたのが入社のきっかけです。その頃のリクルートは中小企業で、知名度も低かった。でも、営業補助のバイトが楽しかったのと、肩書によらず「さん付け」で呼び合うところや、風通しの良い社風がとても良かった。周囲になかなか味わいのある人がそろっていたし、この会社ならおもしろく働けそうだな、と思って入社しました。

ゼミの仲間が官庁や大企業に就職する中、“正式に踏み外した”わけです。

リクルートでの仕事は本当におもしろかった。同僚と夕食をとりながら、「お客さまをどう驚かせるか」「採用の決定権を持つトップにどう会うか」「担当の会社をどう良くしていくか」・・・そんな話ばかり。何かひらめくと、そのまま会社に帰り、当時はパソコンもないから、企画書を手書きで書き直して。営業成績はトップで、どんどん出世していきました。

ただ、そのころ、昇進したことで仕事内容も変化し、やりたい仕事とやるべき仕事の板挟み。多忙と不規則な生活で、ついに30歳でメニエール病を発症してしまいました。それで、出世レースから降りて、自分のやりたいテーマを探すため、会社からの留学生として、37歳で家族を連れてヨーロッパに留学しました。

どんなテーマが見つかったのですか?

前後しますが、留学前に出版社「メディアファクトリー」を設立しました。市場調査をするうちに、これは絶対に“時代が変わるな”と思ったんです。高度成長期の価値観が、今後がらりと変わるだろうと。実際1997年が高度成長のピークで、98年から成熟社会に入ったんです。それが手前で分かったから、移住先を成熟社会を迎えていたヨーロッパに選びました。

そして、日本の成熟社会をまともに迎えるためには、3つの分野で社会システムを一新する必要があると気付きました。教育、介護を中心とした医療、そして住宅問題です。

そのうちの1つ、「教育」というテーマを追うために40歳で18年間勤めたリクルートを退社しました。その代わり、業務委託契約のような「フェロー」制度を設立してもらい、評価によって年収が変化する働き方に“モードチェンジ”したんです。退社することで権力と保障を捨てて、フェローで働くことで自由な時間と時価評価を手に入れたというわけです。

フェロー契約終了後、2003年から民間人校長に。52歳で名刺を捨てて、「教育改革実践家」を名乗りはじめました。

仕事を選ぶときは「おもしろい」かどうか

藤原さんが提唱する、戦略的に人生のモードを変えていく“モードチェンジ”。47歳で杉並区立和田中学校の校長になったのも大きなモードチェンジでしたね。

普通ならやらないですよ。これまで働いてきたリクルートの営業やプレゼンの経験は役に立たないし、年収は3分の1ですし。でも、「これ以上おもしろいことはない!」と思ったから飛び込んだんです。

そして、教育改革を“実践で”変えていきました。「校長室の開放」を宣言し、「よのなか」科(科目の枠にとらわれず、世の中に関連した、生涯使えることを教えることが目的の授業)を総合学習に取り入れたり、教職志望の大学生が先生役を務める土曜日限定の自主的な学習の場「土曜日寺子屋(ドテラ)」をはじめたり。校庭を開放して、地元の方々にボランティアで協力してもらって、緑のある学校に生まれ変わらせたりもしました。

結局、僕が仕事を選ぶのは「おもしろい」かどうかで、論理じゃないんです。何と表現すればいいのかな・・・「美意識」かもしれない。

働き方は、おもしろいほうへ、おもしろい方向へふるというのが原則。それが僕の美意識です。

 

常に新しいことに挑戦し、向き合う中で、「働く」ことをどのようにとらえているのでしょうか?

そもそも、働くことと生活の「オン」と「オフ」という考え方をしていないんです。ですから、もうすぐ63歳ですが、“定年”や“いつまで働く”といった区切りもありません。

私は一人っ子ですから、基本は寂しがり屋です。我が道を行くように周りから見られているかもしれませんが、かまってもらえないと寂しいし、仲間に“ウケたい”という思いが強いんです。次に挑戦するときも、「どこに踏み出したら、僕の仲間たちは笑ってくれるかな」って。そういう判断なんです。

もし僕が、有名になるだけ、お金のためだけに何かをはじめても人はついてこないと思うし、応援してくれないでしょう。リスクのある道を選んで進むからこそ、仲間が助けてくれるんです。

 

畑違いで難しいと言われた教育改革もそう。イメージは、仲間がゲームのコントローラーを持っていて、僕はアバターなんですよ。皆も日本の学校教育が柔らかくなったり、もっとおもしろくなって欲しいと思っている。だから、僕をアバターにして、仲間が動かしてくれている。不利なことをすればするほど、仲間が盛り上がって、助けてくれるという感じですね。

率先してやる「仕事」はエネルギーをもらえるもの

いま働きすぎが問題になったり、働くことをネガティブとらえらる人もいます。藤原さんも、仕事で大変だったり、辛かったりしたことはありますか?

僕は、自分からイニシアチブをとってやるのが「仕事」、させられるのが「作業」だと思っているんです。「仕事」と「作業」はまったく違うものです。つまらないと感じているのなら、それは「作業」なのかもしれないですね。「作業」をやり続けるのは、エネルギーを奪われてしまうだけです。でも、自ら率先してやる「仕事」は、むしろエネルギーをもらえるものです。僕は営業だったから、担当するお客さまに喜んでもらえたり感謝されたりする。それがうれしくて、楽しくて、しょうがなかったですね。

 

今後のビジョンを教えてください。

メディアアーティストの落合陽一君とある番組で話したんだけど、中学校と高校の校長を務めたから、今後は幼稚園と小学校をやる手があるなと。日本の小学校のカリキュラムは世界的に見ても素晴らしい。ただ、幼児教育はまだ手付かずの部分があると考えているんです。そのうち、“「よのなか」科の幼児版”みたいなことをやりたいと思っています。

そしたら落合君から、「そこまでやるなら、最後は大学の学長ですね」と言われて、なるほどな、と思ったんです。少子化で大学はすでに半分の私立大が定員割れです。今後は付加価値を付けていく必要があると考えたら、やってみたい気がしますね。そしたら、幼稚園から大学まで、70歳までに“ロイヤルストレートフラッシュ”ですから(笑)。

最後に、藤原さんの「はたらいて、笑おう。」とは?

僕が仕事を選ぶのは「おもしろい」かどうか。おもしろいほう、おもしろい方向、に進んで行くということは、“みんなと一緒の方向に行かない”ということです。みんなと同じ方向に進めば、自分の希少性が下がってしまうから。

「おもしろい方向」は、おもしろいかもしれないけど、同時に相当タフでもあります。けっこう厳しい道かもしれないし、おそらく便利で安定な方向ではないでしょう。きっと、権力や保障も得られない。「おもしろい」ということは、そういうことだと思うんです。ただし、リスクをおかさないと、おもしろいことなんてありえない。

だから、「はたらいて、笑おう。」というのは、“安心して笑おう”じゃないと思う。リスクをとった人が、さまざまなことを乗り越えたからこそ、笑えるんだと思うんです。

 

取材・構成:児玉 奈保美
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)

 

教育改革実践家 藤原和博さん

リクルートのトップセールス、新規事業部長を経て初代フェローというスーパービジネスマンの世界から転じ、東京都初の民間中学校長や奈良市一条高校校長として様々な改革を断行。講演回数1400回超の人気講師で書籍も81冊累積145万部。2月6日新刊『僕たちは14歳までに何を学んだか』(SB新書)発売。詳しくは「よのなかnet」 に。

藤原和博の120秒プレゼン動画