#12

私がいて良かったと喜んでもらう

たかはしきもの工房 代表 髙橋和江さん

「毎日着物が着たくなる」を目指して、宮城県気仙沼市で着物のお手入れのプロ「悉皆屋(しっかいや)」を営む髙橋和江さん。2011年に東日本大震災を経験し、建物こそ残ったものの在庫は全滅。一時経営危機に追い込まれた経験を持ちます。逆境に立ち向かう時に何を大切にしたのか。着物を愛するすべての人にメッセージをお届けします。

更新日:2018年3月8日

被災した着物をよみがえらせる

「悉皆屋」とは聞き慣れない言葉です。「呉服屋」とはどう違うのでしょう。

呉服屋が完成した着物を販売する小売業だとすると、悉皆屋は着物のお手入れを行うサービス業です。丸洗い、洗い張り、しみ抜きといったメンテナンス全般を扱うほか、白生地から染め出すという「あつらえ」も行います。今でいうテーラーとクリーニングを掛け合わせたようなお仕事ですね。着物を普段着にしていた時代にはコンビニ以上にたくさんお店があったと言われています。
当店「たかはしきもの工房」は、1967年に悉皆業から始まり、少しづつ呉服も扱うようになりました。私は1983年から携わっています。着物のメンテナンスを通して「きものをやさしく、たのしく、おもしろく」という企業理念のもと、より着物を楽しんでいただくため15年前より、和装肌着や小物のオリジナル商品の開発にも取り組んでいます。

東日本大震災が発生したのが2011年です。宮城県気仙沼市に位置するお店ですから被害は相当のものだったと伺っています。

はい。当店も津波の被害に遭い在庫はヘドロまみれとなりデータも失いました。残されたのはヘドロと冷凍加工場から流されてきた大量の魚。1000匹はいたかもしれません。幸いにして建物は流されなかったため、すぐに室内からの泥出し作業に勤しむ日々が始まったわけですが、日に日に腐っていく魚たちと油を含んだヘドロは異臭を放ち、寒さと戦いながらの過酷な作業となりました。それでも1週間もすると一時は散り散りとなったスタッフと、息子の友達がお手伝いに来てくれました。これが大きな助けになりました。

ひたすら手を動かし、日が暮れると速やかに布団に入って眠る。先が見えない日々。
何しろ在庫は全滅ですし2010年にお店を改装したばかりだったということもあり、精神力だけは自信があった私もさすがに途方に暮れてしまいました。

 

そんななか、絶望を希望に変える出来事が起こります。震災から三週間経過したある日、瓦礫の道を運転し見知らぬご夫婦がお店にやってきてくださったのです。

「お店はいつ再開しますか。洗ってほしい着物があるんです」

泥だらけの店内を眺めながらそうおっしゃるので、私もスタッフもただただ驚くばかり。そもそも着物は生きるための必需品ではありません。ましてや未曾有の震災が起きたのですから普通は後回しに考えるだろうと。
私たちも呆然となりながらひとまずお店を片付け始めたはいいが、心のどこかで「しばらく仕事にはならない」と諦めていました。まさかこんなにも早くお客さまが来てくださるなんて……夢にも思わなかったのです。

その日を皮切りに、たくさんのお客さまが汚れた着物を入れ替わり立ち替わりお持ちになるようになりました。
私としてもなんとか着物をよみがえらせて差し上げたい一心でした。しかし、お見立てすると汚れがひどく、廃棄するしか道がない着物もありました。心を鬼にしてそうお伝えすると、「着れなくてもいいんです。持っているだけでいいから洗ってくれませんか」。まっすぐ私を見てそうおっしゃる。たとえ元通りにならなくても、思い出の着物を失わずに済んだことを喜んでいらっしゃるのです。

ああ、着物はただのモノじゃないんだ、大切な人との思い出なんだって。その時初めて気付かされました。大枚をはたいたからとか、高価なものだからとかじゃなくて、「嫁入りするときに買ってくれたもの」「祖母から受け継いだもの」だからそばに置いておきたいのです。

 

そうしてお客さまから働く機会を与えてもらい、心のエンジンをかけることができなければ7年が経過する今も、もしかしたら完全復活は叶わなかったかもしれません。

震災を経て手に入れたもの

それらは震災があったからこそ得たものだったと、そういうことでしょうか。

はい。震災を経てかけがえのない宝物をたくさん得ることができました。第一に仲間です。震災前は、雇用者と被雇用者ということで、スタッフとはどこか垣根がありました。経営者は孤独だな、そう思うこともしばしばありました。しかし震災が起こり、ここぞという時にスタッフたちが力を貸してくれました。スタッフも私も、ある意味腹をくくれたんですね。こうなった以上、助け合いながらともに生きていこう、同志になろうと。

毎日泥だらけの着物と向き合い、心から喜んでくださるお客さまのお顔を見るたびに「きものをやさしく、たのしく、おもしろく」という「たかはし」の企業理念が心にストンと落ちる感じがして、私たちは理念にある言葉の通り、そのために毎日頑張るんだよねって、結束力はますます強まっていきました。

 

逆境に立たされた時に、髙橋さんが大切にされていたこととは。

まさに、人のために、お客さまのために。それしかないんです。若い子によく指導するのは、絶対に損得勘定から入ってはいけないということです。損得から入ったら、損得以上のものはやってきません。損得を超えて、お客さまのため、人のために心を尽くしてこそ、信頼を得ることができて、想像以上の運が巡ってくるのだと繰り返し伝えています。

そんな髙橋さんの「はたらいて、笑おう。」とは。

私がいて良かったと思ってもらえることです。

私、この仕事につくまで自分のことをなんの取り柄もない人間だと思い込んでいたんです。若い頃は自己肯定感が低かったし、自分の存在意義も見出せませんでした。でもこの仕事を始めて、お客さまが喜んでくださることが私の喜びになりました。私がいて良かったと思ってもらえるから、明日もまた頑張れるんです。
そこまで好きではなかった着物を愛しこの仕事を天職だと思えるようになったのは、人様に喜んでもらえてこそだと思っています。

 

取材・構成:両角 晴香
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)

 

たかはしきもの工房 髙橋和江さん

宮城県気仙沼市で京染悉皆業を営む店の2代目。2003年よりオリジナルの和装肌着を開発し製造メーカーとして歩み始め、現在は50以上のオリジナルアイテムを持っている。著書に『大人気の悉皆屋さんが教える!着物まわりのお手入れ』(河出書房新社刊)、『初めてのリサイクル着物 選び方&お手入れお直し』(世界文化社刊)がある。
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