#11

目の前の人を大切にする

サッカー選手 今村匠実さん

サッカーを一生続けていきたい。海外に拠点を置くプロサッカー選手の今村匠実さんはプレイヤーでありながら、海外遠征マネジメントの事業を兼業。サッカーへの一途な想いを貫こうとしている。

更新日:2018年3月5日

いまできることを優先しよう

28歳でサッカー歴25年という今村さんのキャリアを振り返っていただけますか。

3歳から幼稚園のクラブチームに所属し、三浦知良選手に憧れてプロを目指すようになりました。子どもの頃に描いたプランは、「プロサッカー選手→大学院修士課程に進む→現役引退→大学教諭としてサッカーの研究に勤しみ→指導者の道へ」とこんな感じでした。小学校、高校の全国大会で優勝するなど実績を積みましたが、学生のうちにプロ入りすることはできませんでした。大学卒業後は院の修士課程に進み、スポーツ心理学の研究とコーチ業を両立しながら大学教員を目指すようになりました。

一度は現役を退いたつもりだったんです。しかし再度現役に復帰したのは、「社会人リーグに入らないか」と大学院のOBに誘われたからでした。あまり深く考えず、プレーすると、教えるよりやる方が断然おもしろいと感じて。いまできることを優先しよう、その気持ちがトリガーとなって、もう一度プロを志すようになりました。

膝の前十字靭帯を損傷。転んでもただでは起きない

海外でプレーすることになったきっかけは何だったのでしょうか?

「プロになりたい気持ちが再燃した」とオーストラリアリーグのスカウトマンをする友人に話すと、こんなことを言われました。

「オーストラリアでプロを目指してみたら? 匠実の実力があれば夢じゃないと思うけど」

この一言で、オーストラリアに飛びプロテストを受けることを決断しました。簡単に決めたわけではありません。苦労して修士号を取得しこのまま研究職を続け大学教授になる夢もありましたから。でも24歳の今であれば……と、海外に行くことを優先させ、そこから海外でプロサッカー選手としての生活をスタートすることができました。

 

後述のニュージーランドでプレーしていた頃(ご本人提供写真)

オーストラリアの次の目標に定めたのは、毎年12月に開催される「クラブワールドカップ」でした。日本代表としてプレーすることは難しくても、オセアニア王者のクラブチーム「オークランド・シティ(国はニュージーランド)」であれば可能性があるかもしれないと思ったのです。しかもその年の開催国は日本。お世話になった方々にプレイヤーとしての姿を見てもらう、またとないチャンスだったのです。「まだ頑張ってるのか!どうしようもなくサッカーが好きなんだな」なんて言ってもらえたら最高に嬉しいじゃないですか。

そのように公言していると、偶然僕のことを耳にした記者さんが、「オークランド・シティ」でプレーする日本人選手を紹介してくださることになりました。僕はすぐにニュージーランドに飛んだのですが……ここぞという時に、膝の前十字靭帯を損傷してしまったのです。

選手生命を絶たれるほどの大怪我ですよね。

そうなんです。しかも、「オークランド・シティ」の監督とコンタクトを取ることに成功し、「日本でビザをとってまたすぐに戻ってきます」そんな前向きな話を監督としていた矢先にです。

実は、前々から怪我したら、現役を引退すると決めていました。それなのに、懸念していたことが現実になると、不思議と悲しい気持ちよりも“このままでは絶対に終われない”という気持ちが勝ったんですよね。これには僕自身が驚かされました。

でもそう思えたのは、以前からあるビジネスを大きくしたいとの気持ちがあったからだと思います。

 

どのようなビジネスでしょうか。

メインは海外遠征マネジメントの仕事です。
選手が海外でプレーするとなると一般的に多額の費用をかけてエージェントを雇うんです。にも関わらず、僕の周りには期待したサポートが受けられず、挫折して帰国して悩む選手がたくさんいました。

僕も初めての海外であるオーストラリアではエージェントを雇いました。交渉はうまくいったのですが、これなら自分一人でやってやれないことはないなと思いました。
そこで、二つ目の国、ニュージーランドではエージェントなしで交渉に臨むことにしました。ただ、これが想像以上に大変だったのです。誰もお膳立てはしてくれませんから、言うなれば移動したその日泊まる宿すら決まっていないわけです。チーム探しはもちろん、家探しをはじめとした生活環境を整えるため、真夏の炎天下の中、1日3万歩以上歩くことも続き…。そんな過酷な状況に疲れ果てて、怪我をしてしまったという経緯がありました。

 

これらの経験を踏まえて僕が目指したのは、エージェントと「自力」のあいだです。現地にサポートする人間がいて、交渉ごとはもちろん、契約後の生活などありとあらゆることを日本語で相談できる。だけど、こちらにずっと任せっきりではなく、いずれ選手にも自立する努力をしてもらいます。それが、僕の海外遠征マネジメントの仕事です。怪我をするまではフリーランスで請負っていたのですが、このタイミングできちんと法人化して、選手たちに安定したサービスを提供したいと考えました。

怪我をチャンスと捉え、ビジネスに力を入れる。なかなかできることではありません。

完治するまでに約8ヶ月はかかると医師に言われました。手術は日本で行ない、松葉杖をつきながら、力になってくれるキーマンや才能ある選手を探し求めて日本全国飛び回りました。その間にオーストラリア、ニュージーランドを行き来しながら僕と連携できそうなチームを探しました。

そうして2015年、僕はリハビリをしながら知人とともに株式会社G.M.A.という会社を立ち上げました。そこで、海外遠征マネジメント事業を展開し、世界12ヶ国のコネクションを作りました。

現役のプロサッカー選手としての夢も諦めたわけではありません。リハビリ後は、再びニュージーランドに渡り、1部リーグのクラブで1シーズンやりきりましたし、現在はスペインのクラブチームでプレーしています。

スペインを選んだ理由は明確です。世界トップレベルの選手を育てるシステムが整っているスペインで、その指導法を学ぼうと思ったのです。まず、僕が現役選手の立場で指導してもらい、近い将来、指導者の勉強をするつもりです。

 

海外遠征マネジメント以外にも、子供たちにサッカーを教える仕事も(ご本人提供写真)

40歳を境に指導者にシフトしたい

今後のビジョンをお聞かせください。

ビジネスを発展させながら、40歳までは現役を続けたいですね。きっと世界中のどこかのチームでボールを蹴っていると思います。40歳を超えたら指導者に切り替えて、70歳80歳になってもサッカー一筋でいられたら、なにも言うことはありません。

そんな今村さんの「はたらいて、笑おう。」とは。

目の前の人を大切にすることです。

これ、当たり前のようで意外と見落としがちだと思うのです。日々の業務に忙殺されていると、自分をケアすることに精一杯で、周囲に気を配ることを忘れがちになるんですね。サッカー選手も同じで、ライバルに追いつけ追い越せで戦っているとつい人への配慮が欠けてしまうことがあります。しかし人が成長するためには、他者ときちんと向き合って心を通わせなくてはならないと思うのです。
だからこそ、幾つになってもどんな立場になっても、目の前の人を大切にできる人間でありたいですね。

取材・構成:両角 晴香
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)

 

サッカー選手 今村匠実さん

2014年慶応義塾大学大学院を卒業後、オーストラリア・ニュージーランドに渡り、プロサッカー選手として活躍。
2015年膝の前十字靭帯を損傷し一時休業するも、リハビリ期間中に株式会社G.M.A.を設立。サッカー選手の傍ら、スポーツビジネスにも携わり活動は多岐に渡る。現在は、スペインリーグにてプレー。
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