#10

自分が変われるチャンスをワクワクしながら自分でつくる

夫婦出版社アタシ社 代表 ミネシンゴさん

美容師、編集者、営業マンを経験し、マルチスキルを身につけ30歳の節目に奥様と自ら出版社を立ち上げたミネシンゴさん。出版社といえば約8割が東京都内に集中するというが、あえて神奈川県逗子に拠点を置き、昨秋さらに20kmほど南下。三浦半島最南端・三浦市三崎にオフィスを移転したという。今回、海の香りがする新オフィスを訪ね、行動し続ける人の働き方について伺った。

更新日:2018年2月27日

何者でもない20代は自己研鑽の時と割り切った

『美容文藝誌 髪とアタシ』を出版する夫婦出版社「アタシ社」の代表を務めるミネさん。美容師として活動されたのちに編集者に転身されているんですね。

僕が高校生のころに描いた夢は美容師として大成することでした。卒業後は相模原と青山の美容院に勤務し、一流になるという明確なビジョンを持っていました。しかし、美容師になってわずか2年で椎間板ヘルニアを発症。これが致命傷となり美容師の夢が断たれてしまったんです。

なぜ僕だけが。そんな風に落ち込んだ時期もありました。しかしどんな境遇にあろうと、美容業界を応援していきたい気持ちは変わりませんでした。やっぱり僕は美容師やこの業界が大好きなんです。

なぜ畑違いである出版社に転職されたのでしょうか。

このとき僕は23歳。美容師として超半人前で、美容業界に何もなせていないんですね。じゃあどう生きていこうかと考えたときに、美容メーカーや、あるいは美容ディーラーになって会社勤めをする自分はまるで想像できませんでした。
その代わりにはっきりと確認できた願望があります。
「美容師を目指す若者たちにエールを送りたい」
であれば、進むべき道はメディアなんじゃないかと。美容業界誌専門の出版社に狙いを定めました。

……と意気込むも、最初のうちは意中の出版社にまったく相手にされませんでした(笑)。僕は大学を出ていないので。加えて文章も書いたことない、企画も立てたことない“ど素人”。あるのはガッツだけ。少々のことではめげませんから、なんど振られてもコンタクトをとり続け、3度目の正直で「面接してあげる。おいで」とチャンスをいただきました。
当然、経歴とスキルで太刀打ちできるわけがありませんから、面接では「現場経験を積んだ人間が、編集者になることに大きな意味があるのです!」と熱意を伝え、なんとか入社することができました。

実際、現場経験は活かせたのですか?

そう思います。例えば、僕はヘアデザインの技術や構造、美容師さんが技術を習得するまでの過程がわかるので、「こういう風に撮影したほうが読者に伝わる」などの指示を的確に出せるんですね。またサロンに取材に行くと、美容師さんの立場でコミュニケーションを取れるので、信頼関係を築くのも早かったと思います。
一方で、編集業務は門外漢ですから、自分が面白いと思う企画と世の中に求められる情報のギャップがありました。感覚を掴むまで時間が必要でした。

その後、一旦美容師に戻られたんですね。

一度は諦めていたのですが、編集者として2年間働くうちに、現役の美容師と触れれば触れるほど彼らのように現場で働きたいという強い気持ちが湧いてきました。幸運なことに、椎間板ヘルニアは治っていたので、もう一度美容師の夢を追いかけよう。そう一念発起し、以前からの憧れであった鎌倉にある美容院に転職。そのタイミングで東京を離れ、逗子に移住しました。

しかし、その数年後に椎間板ヘルニアが再発してしまったので転職せざるを得なくなり、リクルートに転職しました。

編集者ではなく未経験で営業職を選ばれたのはなぜですか?

編集のスキルは前職である程度鍛えられてたため、新たに営業力を身につければもっと仕事の幅が広がると考えたのです。その時ちょうどリクルートの『ホットペッパービューティー』がリニューアルしたタイミング。同誌の営業マンとして働かせてもらうことになりました。どんな試練にも立ち向かう覚悟を持って同社に入ったので、みんなが恐れる飛び込み営業もずいぶんやりましたよ。20代のうちに営業という仕事の面白さを知れて良かったです。

その一方で、業界を知るにつれ業界が抱える課題も見えてきました。例えば、美容専門誌の誌面で紹介する新進気鋭の美容師たちは、東京のごく一部の人に限定されがちなんです。全国に美容院は20万軒以上あるのにですよ。それってなんだかつまらない。情報の偏りに違和感を覚えると同時に、メディアに登場しないユニークで面白い美容師に光を当てたいと思うようになりました。そして20代最後の年に、リクルート在籍したまま創刊したのが『美容文藝誌 髪とアタシ』でした。

 

『髪とアタシ』は、全国にいる「オモシロキ美容師」に焦点を当て、彼らの働き方や生き方を紹介する雑誌です。これこそが僕が送りたかったメッセージ。美容師を志す若者たちに新しい価値観を提案し、美容師の働き方や生き方の選択肢を広げること。すなわち若者にエールを送っているのですね。

誌面に登場するのはあくまで「人」です。最先端のサロン技術やノウハウなどには一切触れていません。だから「文藝誌」を名乗らせてもらっています。

サラリーマンでありながら、いきなり“在庫を抱えた”のですか?

まず前提としてあるのが、個人でつくった雑誌ですから、流通に乗せたくても、取次会社は個人とそう簡単に取引してくれません。書店の棚に置いて欲しければ、書店に直接伺い直談判するしか方法はありません。ここで、リクルートに鍛えてもらった営業力が活きました。

僕は「全国の気になる書店」を150店舗ほどリストアップし、休みの日に片っ端から会いに行くという泥臭い営業をしました。結論から言うと150店舗のうち半数近くの書店さんが快く本誌を置いてくださいました。それらの書店さんとは未だに良い関係が続いています。
嬉しかったのは、リクルートが300冊ほど応援してくれたこと。自分を育ててくれた会社からのサプライズですから泣いて喜びました。

 

チャンスは自分でつくるもの

そして30代の節目にデザイナーの奥様と出版社を立ち上げたと。雑誌や本をつくるなら編集者に戻るという選択もあったのに、なぜ自ら出版社を立ち上げたのでしょう。

リクルートの契約は3年半と決まっていたので、またも進路に悩むわけなのですが、ある晩、妻と2人で散歩していると、「いっそのこと出版社を二人で立ち上げてみたらどうか」と妻が冗談交じりに提案してくれたんです。彼女もまたデザイナーとして独立するかどうか岐路に立たされていて、「それは名案かも知れない」と二人の意見は一致。

組織に属せば自由度が制限されます。でも自分たちで会社を立ち上げれば、クライアントに左右されずに、僕らが伝えたいメッセージを自発的に発信できると思いました。こうして僕らは2015年4月に逗子で「アタシ社」という出版社を設立しました。

 

また、夫婦で仕事をすれば最小限のコミュニケーションでものづくりができます。大手出版社と比べ発行部数が少なくても、強いメッセージを持って発行すれば、きっと読者に伝わるはず。ローカルで夫婦でつくる「本」というだけでもインディペントな空気感は伝わると思ったんです。

「アタシ社」は逗子に8年、昨秋に三浦半島の最南端・三崎にお引越しされたのですよね。なぜ郊外にこだわるのですか?

東京は僕らにとって雑音が大きすぎると感じています。自分たちにしかつくれない本をつくるということは、すなわち本当に自分がやりたいことは何かを自問するに等しい。それは時と共に変化していくものだし、自分と常に向き合っていないと生み出せないのです。今日こうして三崎まで取材に来ていただきましたがどうですか。とっても静かな街でしょう?

ただし、カルチャーのるつぼである東京にアンテナを張っていたいので、東京と首の皮一枚で繋がれる場所がいい。そういう点で浦半島の最南端に位置する三浦市三崎は理想的な街なんです。三崎から品川まで特急で70分ですから、遠いようで近い。ローカルと都市を行き来するのにちょうどいいんです。

今日伺って驚いたのですが、オフィスの真向かいに新刊書店さんがあるんですね。偶然ですか?

まったくの偶然です。初めて物件を訪れた時にそれを知り運命的であると感じました。出版社と書店がタッグを組めば地域を盛り上げるイベントやキャンペーンができます。「アタシ社は三崎で唯一の出版社ですから、ローカルに根ざした出版物や地元のクリエイターとも協業して、お向かいの書店さんと一緒に街を盛り上げられたら、最高に楽しい。

三浦市は数年後の未来が保証されていない「消滅可能性都市」に認定されているんです。メディアに携わる者としては、どうにかして力になりたいって思っちゃう。地域活性化というテーマを掲げることで情熱に火がついたんです。

未来を自分で設計する気概さえあれば人は変われる

そんなミネさんの「はたらいて、笑おう。」とは。

「自分が変われるチャンスを ワクワクしながら自分でつくる」こと。

20代は挫折もあったし遠回りもしてきました。くじけそうになるたびに「自分に足りないもの」「なにを武器に持てば強くなれるのか」を考えて、具体的に行動に移してきました。自分の意志で、職種、住処、コミュニティを変えて、そうして気がついたのは、自分が変われるチャンスはいつだって足元に転がっているということでした。
行動に移すのはとてもパワーがいるけど、未来を自分で設計することで人は変われるのだと身をもって体験してきました。

早いもので社会人になって13年。未来だけを見つめてがむしゃらに走ってきて、ふと自分の過去に立ち返る瞬間があります。すると過去の自分とは少し違った自分に変化していることに気が付くんです。そのとき初めて、はたらいて笑えるんですね。ああ、少し前に進めたのかな、と。

 

取材・構成:両角 晴香
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)

 

夫婦出版社アタシ社 代表 ミネシンゴさん

1984年生まれ。「美容文藝誌 髪とアタシ」、渋谷発のメンズヘアカルチャーマガジン「S.B.Y」編集長。渋谷のラジオ「渋谷の美容師」MC。web、紙メディアの編集をはじめ、ローカルメディアの制作、イベント企画など幅広く活動中。
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