1980年代の原宿ファッションに魅せられて
大友さんは日本舞踊とファッションデザインという二つがキーワードになっています。全くの異業種であるそれぞれの出会いから教えていただけますか?
ファッションデザインと日本舞踊(ダンス)は異色のようで、私にとっては一本の線で繋がっているんです。生活の中にダンスがあったからこそデザインに活かせたし、デザインがあるからこそ、現在力を入れている日本舞踊の活動を若い世代の方々にも受け入れてもらえているのではと思っています。
ファッションデザインと日本舞踊どちらのキャリアが長いのでしょうか?
長いのは日本舞踊ですね。生まれも育ちも東京深川で、2歳からたまたま近所にあった日本舞踊教室に通い始めました。
ファッションデザインに興味を持ち始めたのは9歳の頃。母が原宿の竹下通りに連れて行ってくれたときに「なんだこの街は、すごいぞ!」と、若者のトレンドに強い関心を寄せるようになりました。以来、親に内緒で一人電車に乗って竹下通りやアメ横へトレンドのチェックに出かけてはファッションデザイナーへの思いを募らせるようになりました。
ファッションデザイナーになりたいので高校は家政科を希望したのですが、志望校の偏差値が高くて断念。一般の高校に通いながら365日クラブに通う日々を送りました。
日本舞踊のお稽古は週一で真面目に通い続けていたんですけど、それだけだと若いエネルギーがあり余って。姉がクラブに通っていると知っていたので、「クラブってどうなの?いっぱい踊れるところなんでしょ?」みたいな好奇心で私もデビューしました。
実体験を活かしてファッションデザイナーへ
ダンスに熱中した高校時代からどのようにしてファッションデザイナーの道に進まれたのですか?
ダンスは大好きだけどあくまで将来の夢はファッションデザイナーです。高校卒業後は渋谷のファッションデザイン専門学校に通い、アパレルブランド「BAHAMA PARTY(バハマパーティ)」のデザイナーとして起用されました。
幸運だったのは、新人の身でありながらチーフデザイナーを務めさせてもらったこと。入社と同時に先輩方が数名退職したこともあり白羽の矢が立ったのです。
私が就職した90年代はギャル文化が花開いたころでした。当時の私はガングロで、ギャルそのものという風貌だったんです。
BAHAMAは、ルーズソックスを大流行させたブランドで、「ギャルのためのブランドは、ギャルが作らないと売れない」と奮闘し、なんとか結果を出すことができました。自分が普段着ているファッションをデザインに活かすリアルクローズデザイナーの方は、今はたくさんいらっしゃいますが、その先駆者的な存在になれたのかもしれません。

自分が着たいものをデザインするだけでトレンドになり、10代~20代の女性を熱狂させている事はとにかく面白かったです。
その後は転職とともに様々なデザインを手がけました。
「BOOP(ブープ)」というB系(ヒップホップ・ストリート系ファッション)ブランドを立ち上げたり、日本初のトレンドファッションとゴルフウェアを融合させたクールなブランドを成功させたりしました。
そういえば、男性の高級アンダーウェアを手がけたこともありました。当時、「草食男子」という言葉が流行っていたのですが、それは女性の本音ではないというのが私の持論でした。男性には男らしくいてほしい。そんな願いを込めて日本の戦国武将が身に着けていた鎧をモチーフにした男らしい甲冑パンツをデザインしました(笑)。これが狙い通り大ヒット。1,000枚以上売り上げ、内8割は女性が男性にプレゼントしたと聞いています。甲冑パンツは、マドンナさんが日本公演の衣装に起用してくださり、何かと話題になったヒット商品です。
大友さんは90年代から25年間、ファッション業界の第一線で活躍され続けているのですね。
とてもありがたいことです。
ギャルファッション、B系ファッションだけでなくハイカジュアル、ランジェリーブランドなども私自身の体験や感性が基盤にあって、そこから派生しています。
自身の体験が商品に反映できるのが私の強み。常に世の中にない新しいものにこだわってきたと自負しています。
古(いにしえ)を稽(かんがえる)
現在は、日本舞踊の啓蒙活動にも力を入れていらっしゃいますね。
はい。海外を知ることで、日本の良さを再発見できたという月並みな理由からです。
20代30代の頃は海外に洋服を買い付けに行く仕事もしていたので、NYやLAなどに出張する機会が多くありました。となると、出張先でもやっぱりダンスをしたいわけなんですね。NYやLAで最高峰と言われるクラブに通いましたが、ダンスは派手だし文句なしにかっこいいです。
でも、通えば通うほど日本の伝統的な舞踊に勝るものはないと感じるようになりました。
それもそのはず、例えば、私が幼い頃から慣れ親しんできた歌舞伎舞踊は約400年の歴史があって、毎日公演して、「お客様にどうしたらもっと素敵に見えるか」少しずつ手を加えてきたもの。完成度も見応えも海外のそれとは比にならないほど素晴らしいと感じるのは当然なのかもしれません。
それとちょうどその頃、30歳で師範の免状をいただけたことも、日本舞踊に本気で関わろうと決断できたきっかけになりました。日本の伝統文化を多くの人に伝えたいと強く意識するようになったのです。

それをどのようにして伝えたいと考えていらっしゃいますか?
まずは、お稽古ですね。
お稽古とは、「古(いにしえ)を稽(かんがえる)こと。」レッスンは反復練習ですが、お稽古は先人から知恵をいただいて自分の人生を考えることなんですよね。
いつも肝に命じているのは、師匠からいただいた大切な言葉。
「踊りを教えることは、すなわち人生を教えること」
私は2008年に日本舞踊教室「深川おどり」を発足したのですが、この師匠の言葉をいつも心に刻んでお稽古に臨んでいます。僭越ながら日々勉強し、生きがいや心の健康の手助けにもなれる会にしていきたいと思っています。
また、お稽古に来られない方にも日本の文化を知っていただきたく、“芸者ごっこ”と称する宴会を主催しています。飲めや歌えやの宴会形式ですので、どなたでも気軽に参加していただけます。芸者ガールズによる民謡メドレーや、来場された方と一緒にワイワイ一緒に踊ったり。参加型で和文化を楽しく体感できるイベントです。

お江戸深川秋まつりパレードでの様子(ご本人提供写真)
大友さんならではの強みはなんだと思われますか?
やはり、デザイナーという顔を持つことだと思っています。
「日本舞踊」と一言だけ聞くと、礼儀や所作など基礎から叩き込まれる!みたいな厳しいイメージがどうしてもあると思います。
でも、私はデザインと日本舞踊(ダンス)の両輪で生きてきた人間です。
最新のファッションを熟知したうえで、着物の良さを語れること。
流行のダンスを熟知したうえで、日本舞踊の良さを語れること。
この異色な感じが、かえって20代30代の若い世代に受け入れやすいのではないかと思っています。
そんな大友さんの、「はたらいて、笑おう。」とは。
いつまでもみんなと踊り続けることですね。
中学と高校の卒業アルバムに友人が「一生踊り続けてください」と書いてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
それを今でも体現できていることを幸せに思います。

取材・構成:両角 晴香
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)