#02

しあわせを育む、和のしごと

着付け講師 吉澤暁子さん

36歳で着付けを学び始め45歳で独立。「吉澤暁子」の名を冠に掲げた着付け教室を立ち上げた。着物に触れることで仕事観や生き方が変化したという吉澤さんの「はたらいて、笑おう。」とは。

更新日:2017年11月28日

余裕がない時こそ、新しいことを始める

吉澤さんが「着物」と出会うまでの経緯を教えてください。

もともと広告デザインの会社に勤めていたのですが、ハードワークで体を壊してしまいまして。不本意ながら3年で退職しました。11号の指輪が9号になるくらい根を詰めて仕事をしていたので、体が悲鳴をあげたのでしょう。その後、夫がオーナーを務める飲食店で店長として働きはじめました。

私は目標を立てて達成したいタイプ。夫に「新しいお店を出そう」と提案して自分が理想とするカフェを経営し、そのカフェが軌道に乗るとさらにもう1店舗構える。気がつけば自分のことを「鬼店長」と名乗るようになり、朝一でお店に出かけて夜は家に帰るなり玄関で倒れて寝るといったハードな生活を続けていました。

これは私の持論なのですが、本当に忙しい時は休みが欲しいのではなく、気分が180度変わることをインプットしたいんですよね。

私にとってのそれは、前々から習ってみたかった着付け教室に通うことでした。

 

着物は、忙しい日常からかけ離れていて店長業務とはまったく違う頭の使い方で楽しませてくれるものでした。仕事から離れることでストレス発散になるのでは、という期待もありました。

それと、着付けが私にとって専門外だったことも良かったです。 36歳で新しいことにチャンレンジし初心者になれる楽しさというのがあって、一つひとつ知識や技術が増えるたびにワクワクしました。

例えば、「着物を自分で着られるようになる技術」と「着物を美しく着るための技術」では、朝ごはんとフランス料理を作るのと同じくらいクオリティーに差があるんですよ。 そんな奥深さに魅了されていきました。

ついつい極めたくなって、気がついたら認定講師の免許を取得していました。

着付け講師の仕事はどのようにして始められたのですか?

自分のお店にお座敷があったので、まずは「兼業」というスタイルで仕事の休憩時間に着付け教室を始めました。

着付け教室のHPを開設しブログで告知することで少しずつ口コミで生徒さんが増えていき、最終的に飲食業務よりも忙しくなったので、知り合いの和裁士、美容師とともに独立。着物の販売やレンタル、着付け教室、和裁教室、ヘアデザインなど、女性と着物にまつわることを総合プロデュースする会社を立ち上げました。
私は取締役として、忙しくも充実した日々を送っていました。

店長業務からは一旦離れたのですか?

じつは、起業するタイミングで離婚することになりましてー。

夫の手を借りず、一人で生きていくためにも、会社を立ち上げてちゃんと技術職として食べていける生活の基盤を作ろうとしたんです。

正直にいうと、離婚は精神的にかなりしんどいです。でも悪いことではないかな。今は離婚を経て再婚し人生を再構築できて良かったと思っています。経済的に自立しようとする強い思いがあったからこそ当時は頑張れたのかもしれません。

だから私は、「バツイチ」ではなく「マルイチ」なんですよ。

 

自分の名前で仕事をするということ

現在は、どのようなお仕事をされているのですか?

今は着付けのお仕事一本で勝負しています。2015年に前の会社から独立し、大阪と東京で『吉澤暁子 きもの着付け教室』を開講し新たなスタートを切りました。

自分の名前をつけた教室を立ち上げるのは誉であると同時に、責任も重圧もこれまでと比にならないほど感じるようになりました。

「前を向いて進む」
そう覚悟を決めた瞬間でもありました。

お仕事の主軸は、教室で生徒さんに着付けを教える「着付け講師」ですが、時々、「着付け師」として芸能人や著名人の着付けを担当することもあります。先生と職人の二足のわらじを履いて関西・関東で主に活動し、オファーがあれば国内での講演会や海外でワークショップを行うこともあります。

着付けの仕事を始める前後で、仕事に対する意識はどのように変わりましたか?

会社員時代や鬼店長として働いていた時の私は、不完全なものが嫌いでした。
仕事はパーフェクトでなければならないと思っていたし、身を削ってでも事業を大きくするのが仕事だと思っていたんです。また、雇い主である以上、従業員の人生を預かっている責任がありますので、お客さまへの接客などは特に厳しく指導し従業員にも完璧を求めていました。

しかしこの世界に入り、日本独特の余白の美や遊び心の大事さ、言葉にならない部分の美しさを表現することを学びました。例えるなら、水墨画は余白を大切にしますよね。線や色でキャンパスを埋めつくすようなことはせず、余白があって、そこに想像力が無限に広がっていくというふうに。
仕事をする上でも、「もう少しゆっくり見極めてもいいのかも」と思うようになりました。

そのおかげで、人生観も変わったのかもしれません。

以前はコンスタントにお給料が入ってくる安心感のようなものがありましたが、それよりも今はやりたいことをしてしあわせに暮らしているという充実感が大きいです。

これまで着物に触れてこなかった生徒さんが、一人で綺麗に着付けができるようになって自信がつき「すごく楽しい」と表情まで豊かになっていく。そんな現場に立ち会えると、この仕事をしていて本当に良かったなと思います。

着物には人をしあわせにする力がある

吉澤さんが思い描く未来とは?

私は着物業界の未来を背負いたいわけではありません。私の身近にいる女性たちを「着物でしあわせにする」のが私の役目だと思っています。
着物は現代人が生活する上で必ずしも必要なものではないからこそ、着物を習うことで身近に感じたり、着物の楽しさや美しさ、職人さんの技術の素晴らしさなど私が思った素敵さを真っ直ぐに伝えていきたい。

それと、生徒さんには自分のことは自分で決められる自立した女性になってほしいですね。じつは、『吉澤暁子 きもの着付け教室』のお生徒さんのほとんどが女性なんです。女性が着物を習うときは、何かしら人生の転機や変化を求めているときの方が多いんです。例えば、子育てが一段落した方、仕事に行き詰った方など。そんな方が、自分の足で立ってしあわせを掴んでくれればこんなに嬉しいことはないですね。
着物はあなたが習う価値のある素敵なものだよ、と伝えたいのです。

 

着物イベントで公開レッスンを行う吉澤さん

最後に、吉澤さんにとって「はたらいて、笑おう。」とは?

自分のために、精一杯自分を使い切ることです。

私は子どもを産んでいないので、後世に残せるものがあるとすれば、それは技術です。

私の技術を引き継いでくださった方が、少しでも仕事をしやすく生きやすくなるよう、自分が持つ力のすべてを使い尽くしてお伝えしたいと思っています。

「着物は人をしあわせにするものなんだよ」 そう伝えることが私の使命であると信じて、今後も生徒さんとともに歩んでいきたいですね。

 
着物イベントで公開レッスンを行う吉澤さん

取材・構成:両角 晴香
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)

 

着付け講師 吉澤暁子さん

『吉澤暁子 きもの着付け教室』を開講し、大阪校と東京校を運営。百貨店や着物イベントなどでの公開レッスンを始め、国内外を問わず広く『着物の着付け』を通して和の文化を伝える活動に従事。