ダイバーシティ部門

自分の身体だからこそ表現できることがある。
私が「義足のダンサー」として踊り続ける理由

Kazuyo
Morita

義足の女優・ダンサー

森田 かずよ

義足の女優・ダンサー。18歳より表現の世界へ入り、ある時は義足を身につけ、ある時は車椅子に乗りながら、舞台に立つ。大学卒業後、パートタイムではたらきながら演劇活動を始める。奈良県の劇団を経て現在フリーで活動。障害のある人や市民参加のダンス公演の振付や演出、ワークショップ講師やレッスンなども行う。2011年第11回北九州&アジア全国洋舞コンクールバリアフリー部門チャレンジャー賞(1位)受賞。

先天性の障害(二分脊椎症・先天性奇形・側湾症)を持って生まれた森田かずよさん。「義足のダンサー」と呼ばれ、日本の障害者パフォーマーのリーダー的存在として活躍しています。「障害のある体と日々向き合いながら楽しく生きている」と笑う彼女に、何を表現し、伝えていきたいのか伺いました。

「障害者だからできない」と言われた「表現」を始めるまで

― ダンスに演劇、講演などたくさんの仕事をなさっていますが、もともとダンサー志望だったのでしょうか?

いえ、もともとは英語の先生やソーシャルワーカーを目指していました。ダンスや演劇などの表現活動に興味を持ったのは大学受験で障害者であるという現実を突きつけられたからです。宝塚やミュージカルに憧れ、舞台芸術に興味がわき、進路の一つとして軽い気持ちで芸大を志したのですが「なぜ障害があるのに舞台表現学科を受けるのか」と言われて断られたんですね。それまで小さな挫折はあったものの、わりと楽観的に生きてきて「障害者だから」という理由ではっきり拒絶されたのは初めてだったので、言葉が出ませんでした。それに言い返せなかった自分にとても腹が立ったんです。
そこから「人は誰でも表現できる。それは障害があっても変わらない、ということを、言葉だけでなく自分の体をもって証明したい」と考えるようになり、大学に入ってから演劇を始め、ミュージカルスクールにも入りダンスを習い始めました。

― 大学卒業後はどうなさったのですか?

自立するために公務員の道を目指していたのですが、フルタイム勤務できない体での就活はうまくいかず、もともと持っていたパソコンの資格を生かしてパソコン教師のアルバイトを始めました。その傍ら、劇団に入って8年間舞台に立ち続けましたが「1年後に自分が何をしているか想像ができない生活」で、かなり不安でしたね。
生活が安定したのは2007年にダンススタジオを立ち上げてから。私はここの経営者で、ダンス指導はしていないのですが、いつでも踊れる環境を手に入れたので「ダンスを辞める」という選択肢がなくなりましたし、いい出会いもたくさん生まれました。私が芸大の入試を断られたように、障害があると「表現がしたい、ダンスを習いたい」と思っても断られることが多いです。ここでは、できる限りあらゆる人を受け入れる場にしたいです。

「私、森田かずよだからこそ」表現できるダンスを

― 森田さんご自身もダンサーとして活躍していらっしゃいますが、身体的な壁を感じて苦労したことはありませんか?

苦労したことは、障害を含めた自分の身体をどう捉えるかということでした。ダンスレッスンを受けても先生と同じ身体ではないです。とりあえずその動きをやってみようとするけれどできないことの方が多くて。だったら「同じことはできないけれど、この部分は好きだから真似しよう」「これは自分には合わないから違うものにしよう」と取捨選択をするようになりました。それに気づいたのは、ダンスを始めてから3年以上経ったときでした。だからこそ、いろんなダンスを習得しようと思って、気になったものはとりあえずやってみました。

― その気づきによって、ダンスに変化は生まれましたか?

「自分の体だからこそ見せられるものがある」と考え、「私、森田かずよだからこそ」のダンスを表現できるようになりました。29歳で初めて作ったダンス作品「灯-トモシビ-」をNPO法人DanceBoxの舞台で発表し、代表の大谷さんから「君は踊り続けたほうがいい」と言われたとき、ようやく迷いが消えました。「障害のあるこの体で踊り続けていいんだ」と気持ちが固まった瞬間でしたね。
代表作「アルクアシタ」は自分の体や障害と向き合って作った作品です。私は家だと義足を外して這って移動していて、これも私にとっては「歩く」こと。それをダンスにするにはどうしたらいいのか考え抜いて作りました。

障害者だからと特別視するのはおかしい。「私は私」という自負

― 現在は「障害者のダンス」を追及しているのでしょうか。

いえ、私は自分の活動を「障害者」という枠にはめていません。「森田かずよは障害を含めた体を持っている」という事実があるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。だから私は「障害者のダンス」を踊っているのではなく「森田かずよのダンス」を踊っているんです。こう考えるようになったのは、小さい頃から母に「森田かずよは森田かずよであって、森田かずよ以外の何ものでもない」と言われて育ったからだと思います。

― 素敵な言葉ですね。お母さまはどんな方ですか?

母は包み隠さず伝える人です。私が生まれたばかりの頃、医者に「この子はすぐに死ぬでしょう」と言われるほど障害が重かったので、死を願ったこともあったそうです。それは障害児を生んだ母としての現実であったと思います。ですが、母は私に対して愛情がないというわけではありません。母としての覚悟をもって私を育ててくれました。
障害者だからという理由で夢や存在を否定されたことは一度もありません。母には「障害を特別視せず、ありのままの娘を受け入れて育てる」というポリシーがあり、そのおかげで自分を卑下せずにひょうひょうと生きてこられました。誰かを頼らず自分で行動する力もつきましたね。

― 実際には、障害を特別視されることのほうが多いのではないでしょうか。

そうですね、遠慮がちに接されて「お客さん扱いはされたくない」と感じ、辞めた劇団もあります。そもそも健常者と障害者といった区切りを意識していなかったんですね。大学時代の演劇部では他の部員とフラットな関係を築き、みんなと同じ目線でひとつのものを作り上げる密度の高さを体感しました。あの楽しさは「お客さん扱い」されてしまうと味わえないんです。

これからは一般の人とも作品作りして、障害の垣根を越えて表現したい

― 2019年から神戸大学の人間発達環境学研究科に在籍していらっしゃいますが、なぜ入学されたんですか?

今までの自分の経験を整理したいというか、知識を補って体系化したいと思ったからです。東京2020パラリンピックで障害のある表現者が注目され、増えるのはいいことだと思っています。ですが一過性のお祭りで終わってしまうのは勿体ないと思っています。障害者が表現活動を続けやすい環境を作っていきたいと思っているのですが、今の日本では障害のない人でも表現活動を仕事にすることが難しいので、障害のある私ですと、それ以上に大変です。
なので、大学院に通って勉強し「障害者でありながら踊ることにどんなこだわりを持っているか」をすべて自分の言葉で説明できるようにしようと思いました。障害者の生き方や表現について再考するきっかけになって、今後に生かしたいと考えています。

― 経験や知識を体系化した後は、具体的にどんな活動をしていきたいですか?

もっと踊っていきたい気持ちもありますし、難しいとさっき言いましたが、やっぱり人と作品を創る場と機会をもっと持ちたいと考えています。健常者とか関係なく、多様な人たちと長期的に活動する基盤を作りたいと思っています。
というのも、いろいろな人に触れ合うことがとても大切だと思っているからです。子ども英会話教室の講師の仕事をしていたことがあるのですが、最初のレッスンなんかは障害がある、ちょっと身体の形が違う先生が来て、子供たちは驚いて、だれも私と手をつないでくれないんですよね。でも毎週レッスンを重ねていったら、1カ月後には子どもたちが私の背中に乗ってくるまでになったんです。今まで障害者に触れ合ったことがないから拒絶していただけで、慣れていけば受け入れられるんですよね。

― 最後に、「はたらいて、笑おう。」を実現するにはどうしたらいいでしょうか?

仕事は誰かに頼られ、信頼されていることがわかるとやりがいが生まれますよね。ダンスや演劇以外にも、パソコン講師や英会話講師など「教える仕事」もたくさんやってきました。それはやっぱり誰かの役に立っていることが実感できたからだと思います。だれかにとっての学びであったり、楽しい時間を提供することが、私にとっては大切なこと。だれかのためになる仕事をしていると笑顔になれるんだと思います。

(文・秋 カヲリ 写真・北村 渉)

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森田 かずよ (義足の女優・ダンサー)

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