PERSOL Work-Style AWARD 2021

Amane

ダイバーシティ部門

モデル
海音

2001年大阪府大阪市生まれ。5歳のころからキッズモデルとして活躍し、10歳からはアイドルグループにも所属。歌って踊るだけでなく、演技でも舞台に立った。12歳のときに多発血管炎性肉芽腫症を発症。右足が壊死し、脚を切断する。義足が合わず一時期は日常生活もままならない生活を送っていたが、義肢装具士やカメラマンとの出会いを経て再びモデルの道へ。2020年には義足を着けた大勢のモデルが出演する「切断ヴィーナスショー」に参加。2021年の「切断ヴィーナスチャリティーカレンダー」にも出演している。

夢は世界で活躍するマルチタレント。
19歳の義足モデルが教えてくれた個性の生かし方

ハンディキャップをただ乗り越えるのではなく、それを武器としてはたらき、大きな夢を掴もうとしている人がいる。モデルの海音さんは右脚の膝から下に義足をつけ、義足モデルとして活躍。国際的なシーンでマルチに活躍できるタレントになることを目指し、日々研鑽している。海音さんには個性を生かしてはたらくこと、仕事を通じて実現したい未来などについてうかがった。

絶えない激しい痛み。将来を考える余裕なんてなかった

—モデルをはじめたきっかけはなんだったのですか?

5歳のときに愛用していたブランドの店員さんがフォトコンテストに出ることを薦めてくれたんです。試しに出てみたらグランプリに。それからキッズモデルとして活動するようになりました。10歳のころからは大阪を中心に活動するアイドルグループにも所属。歌って踊るだけでなく、芝居もするグループでとても楽しかったことを覚えています。

—充実した活動のなかで病気がわかったのでしょうか?

病気になったのは12歳のとき。全身の血管に炎症が起きる病気で、国内に子どもの患者は8人しかいないといわれているものです。そのときはあまりに痛くてほかのことの記憶がほとんどなく、検査が怖かったことぐらいしか覚えていません。脚を切断することに対して悲しいという気持ちはありませんでした。そのときにはもう右足が壊死していたので「これでやっと歩けるようになる。出かけられる」とむしろうれしいぐらいでした。

—治療中はどんな想いで過ごしていましたか?

治療、服薬、検査、どれも大変でした。でも病気になってしまったものは仕方がない。早くよくなってしたいことができるようになるまで、治療を頑張ろうと思っていました。母が毎日笑わせてくれたり「遊園地へ行こう、旅行へ行こう」と言ってくれたりしたので退院後を楽しみに過ごしていました。

—モデルやアイドルとしての活動に不安はありませんでしたか?

脚を切断しただけでなく、食事がまったくできなかったころに体重が28kgまで落ちたり、ステロイド剤の服用で30kgも増えたりと体型が大きく変わりました。モデルとして活動することは難しくなっていたのかもしれませんが、将来のことを考える余裕なんてまったくなくて。入退院を繰り返していたので、中学も2、3日しか通えておらず、普通に学校を卒業できるのかどうかの方が不安でした。しかも当時は対人恐怖症にもなってしまって。すれ違う人に義足だということがバレているんじゃないか、変な身体だと思われているんじゃないかと考えて疑心暗鬼になってしまったんです。

対人恐怖症だった私が「義足ってかっこいい」と気づいた

—再びモデルとしての道を歩むようになったきっかけは?

義肢装具士である臼井二美男さんの言葉がきっかけです。装着していた義足が合わなくなり膝の下が骨が見えるまでえぐれてしまったときに、最後の望みを託すつもりで臼井さんのところを訊ねました。母は臼井さんを日本一の義肢装具士と言っていて、以前にも一度お会いしたことはありました。臼井さんでもだめなら義足は諦めよう、車椅子での生活に切り替えようと思っていたころだったのですが、なんと臼井さんは5分で義足をぴったり合うようにしてくれたんです。あまりにうれしくて帰り道はスキップしながら帰りました。
それからは臼井さんに義足をつくってもらうようにしたのですが、あるとき臼井さんが「またモデルをやってみたら?」と声をかけてくださったんです。「ちょうどカメラマンがいるから撮ってもらいなよ」と。そのカメラマンは『義足ヴィーナス』という写真集を出版した越智貴雄さんでした。そのときはもう一度モデルはやりたいけれど義足を公表することには抵抗があり、やんわり断ったんです。でも後日、越智さんはわざわざ大阪まで来てくれて「義足をつけた人たちの新しい写真集を出したいんだ」と丁寧に説明してくださいました。

—なぜ心が動いたのでしょう?

「義足って恥ずかしいものじゃないよ。むしろハイブランドのアクセサリーみたいなものなんだ」と言われて。義足ってかっこいいんだと気づいたんです。カメラの前に立つことは久しぶりでしたが、やっぱり楽しかったですね。自分では意識していないのですが、カメラを前にすると結構表情が変わるみたいです(笑)。義足になった後に表参道を歩いていて「モデルにならないか」とスカウトされたことも手伝って、自分はもう一度モデルの道を歩きたいのだという気持ちに気づきました。将来は世界で活躍したいと思うようにもなり、語学の勉強もスタート。いまは英語、韓国語、中国語を頑張っています。

障害なんて関係ない、あらゆる人に勇気を与えられる存在に

—憧れの人はいますか?

エイミー・マリンズさんです。元パラリンピック選手で、モデルで、女優。彼女も義足をつけています。私もあんなふうにマルチな活躍がしたい。自分にしかできないことや好きなことを仕事にして、一生を楽しみたいです。

—これからの生き方を示してくれた身近な人はいましたか?

入院したときにとても親身になって接してくれる看護師さんがいました。いつもおしゃべりに付き合って楽しませてくれたり、励ましてくれたりした看護師さんのはたらきぶりをみて、あんなふうになりたいと思いました。私は人に楽しんでもらう仕事がしたい。義足モデルになってからも、他の義足の子に「勇気がでました」と言ってもらえたことがとてもうれしかったんです。そういう意味では、なりたい自分に近づけているのかな。

—海音さんの活躍はすでに多くの方に勇気を与えてられていますよね。

私の義足姿を見て、同じような病気の子たちが手術に対して前向きになってくれたらうれしいです。私がエイミー・マリンズさんに憧れたときのように。

個性を生かせたら、もっと自分を好きになれるはず

―はたらくことを通じて社会に伝えたいことはありますか。

ハンディキャップに対する差別や偏見をなくしていきたいです。ハンディがあっても好きなことができる、行動を制限される必要はないんだよと伝えていきたい。そのためには自分が表舞台に立って、たくさんの人に義足のことを知ってもらうことが必要です。義足でもいろんなことが楽しめるし、ハンディのない人と何も違わないということを知ってもらいたい。でも、正直まだ義足を見せながら外を歩くことは怖いですね。撮影では堂々としていられるのですが。義足を知らない人にどう思われるんだろうと考えるとまだ躊躇してしまいます。

—自分らしくいるためには、どうしたらいいと思いますか?

ハンディキャップに限らず、みんなそれぞれがいろんな個性をもっているはずなんです。それを生かせたら、もっともっといいことがあるはず。自分には「これ」っていう個性がないなら、好きなことを探してみたらいいと思う。自分が少しでも「やりたい」って思うことがあったり、テンションが上がったりすることがあれば、それがきっと好きなこと。それを続けていれば自分をもっと好きになれるし、良い方向へ進んでいけるんじゃないかな、と思います。

—海音さんの考える「はたらいて、笑おう。」とは

私は小さなころからモデルの仕事が大好きです。いまもこの仕事ができていることは本当に幸せで、いつも心から楽しんではたらいています。今後はもっと活躍の場を広げて世界の子どもたちの希望になりたいし、義足であってもみんなと変わらないということを伝えていきたい。それがこれからの私のはたらくということです。(文・大川 祥子  写真・北村 渉)

ダイバーシティ部門
受賞を受けて

モデルの仕事はブランドの撮影などが中心でなかなか賞をもらうという経験がなく、受賞ということに憧れがあったので、選んでいただきとてもうれしいです。これからもたくさんの人に勇気を与えられるように頑張っていきたいと思います。

海音さん

モデル

モデルの仕事はブランドの撮影などが中心でなかなか賞をもらうという経験がなく、受賞ということに憧れがあったので、選んでいただきとてもうれしいです。これからもたくさんの人に勇気を与えられるように頑張っていきたいと思います。

海音さん

モデル

WORKS

  • 5歳モデル開始
  • ジュニアモデル時代
  • チャリティーカレンダー撮影風景
  • 切断ヴィーナスショー
  • 切断ヴィーナスファッションショーモデル再開

海音 モデル

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