ふるさと貢献部門

誰かを笑顔にする仕事は、自分を幸せにする。
被災地でゼロから始めたホースセラピーで子どもを笑顔に

Yutaka
Kibihara

一般社団法人 三陸駒舎 理事

黍原 豊

岩手県内の大学を卒業後、NPO法人岩手子ども環境研究所、県立児童館いわて子どもの森での勤務を経て、2013年4月に釜石市へ移住。「釜石リージョナルコーディネーター協議会(通称:釜援隊)」として三陸ひとつなぎ自然学校の活動に携わった後、2015年4月に一般社団法人三陸駒舎を設立。子どもの心のケアを行うホースセラピーと、馬とともに暮らす地域文化の再生に取り組んでいる。

東日本大震災の後、釜石市に移住し、馬との触れ合いを通じて心のケアをするホースセラピー事業を立ち上げた黍原豊さん。事業立ち上げに際してそれまでの仕事を辞め、妻と子がいる中で一時は無収入状態に。それでも「やりたいこと」と「できること」を軸に生きる道を選んだ理由や、被災地の課題、そしてホースセラピーの可能性を伺いました。

人が変わらなければ環境も変えられない。未来を担う子どもの力になりたかった

― ホースセラピーを始める前は、どんな活動をなさっていたのですか?

東日本大震災を機に「釜石沿岸で活動したい」と思うようになり、総務省の復興支援員制度を利用した「釜石リージョナルコーディネーター」に参加して、三陸ひとつなぎ自然学校で「放課後子ども教室」の運営に携わりました。それ以前にも児童館や「NPO法人岩手子ども環境研究所」での勤務経験があり、子どもにかかわる仕事にこだわったように見えますが、実は環境教育に興味があったんです。
というのも、大学時代に農学部で森林について学び「自然だけ守っても、人の暮らしを変えないと根本的な解決はできない」と考えるようになりまして。そこで着目したのが環境教育でした。大人はなかなか変わりませんが、これから未来を担っていく子どもたちなら知識を素直に吸収してくれますし、発想も豊かです。環境教育なら何か未来に生きる活動ができるのでは、と漠然と考えていました。

― 震災を機に、興味があった環境教育に携わる中で、ホースセラピーを知ったきっかけは何ですか?

行政の補助金や民間の助成金が年を追うごとに減り「ボランティアや支援に頼らず、自分たちで地域密着型の活動をしていかなければ」という危機感が募っていたとき、日本のホースセラピーの第一人者である寄田勝彦さんと出会ったんです。
震災の影響でいまだにトラウマを抱えている子どもは7人に1人いると言われています。仮設住宅で暮らす子どもたちの居場所づくりを行う事業に関わって、音が響きやすい仮設住宅で大人の目を気にしながらひっそり遊んでいる子どもたちを目にして、日々の生活でストレスを感じているであろうことが推測できました。だから「ホースセラピーで釜石の子どもたちをケアしたい」と思ったんです。

― さまざまなケア方法があるなかで、なぜホースセラピーだったのでしょうか。

ホースセラピーは子ども自身が馬に乗って前に進ませたり走らせたりすることで「自分が主人公になる」体験ができるんですよね。何らかの事情を抱えている子どもたちに、ホースセラピーを通じて「自分にはこんなことができる」という自信を持ってほしいと思っています。
あと、岩手県はもともと馬文化がある地域なので、馬を連れて歩いていると懐かしがってくれる人も多く、地域の文化再生につなげられるのもポイントでした。

それまでの仕事を辞め、収入ゼロに。それでも「失敗しちゃダメ」とは思わなかった

― どのようにホースセラピーを始められたのですか?

まずは寄田さんに依頼して3頭の馬を連れてきてもらい、市内の仮設住宅や保育園を回りました。そうしたら子どもたちの表情がガラッと変わって元気になり、馬の力ってすごい!と実感しましたね。人間じゃ敵わないなと思ったくらいです。そこで「法人を立ち上げてホースセラピーを事業化して、継続的に活動しよう」と決め、2015年に三陸駒舎を設立しました。

― どんなことに苦労されましたか?

家探しでしょうか。10件以上回ったのですがなかなか馬を飼育できる物件が見つからず、半年以上かかって今の家が見つかって、そこから手作業で改装しました。震災後、東京と釜石をつなぐコミュニティづくりに携わり、民泊ツアーやイベントなどを2カ月に1回くらい開催していまして、そのつながりから約800人の方々が改装のお手伝いをしてくれました。開業資金はクラウドファンディングで92人の方に支援していただいています。
私はそれまでの仕事を辞めて収入ゼロからのスタートでしたから、みなさんの支えがあって何とかここまで来られました。妻も「私が、家族が食べていけるくらいは稼ぐよ」と言ってくれて、助けられましたね。最初の準備期間は妻に養ってもらいました(笑)

― それは心強いですね!とはいえ、ゼロからスタートするのには勇気がいりませんでしたか?

確かに勇気が必要でしたが「何事も動いてみないとわからないし、ダメだったら次の手を考えればいいや」と腹をくくりました。「失敗しちゃダメ」という考え方の人もいますが、それって変化の激しい現代社会では通用しない考え方ですよね。どうせ不況だし不安定なんだから、いろいろ試せばいいじゃん、と思うんです。
私だって、もともとホースセラピーを目指していたわけじゃありません。大学時代は何がしたいのかはっきりしなくて、就職活動すらしませんでした。卒業後はしばらくボランティアや好きなことをやってフラフラして、いろいろな人に話を聞きに行って、たくさんの活動を経て結果的に今の仕事に行きついただけです。そうやって自分のやりたいことやできることを見つけて、それを活用して生きていくことが幸せにつながると思います。

子どもの笑顔が、大人を笑顔にする。誰かを幸せにする仕事が、自分を幸せにする

― 2019年のお仕事で一番うれしかったことは何ですか?

利用者が増えたことです。1年で延べ900人の方に利用していただき、経営がだいぶ安定しました。最初は全然人が来なかったのですが、ぽつりぽつりと口コミが広まり、ゆっくり伸びていったんです。経営は苦しかったものの、家族や家主さん、地域の方が応援してくれましたし、利用していた子どもたちや親御さんからも好評で、まわりの声が支えになりましたね。だから今までずっと続けられたんだと思います。

― 黍原さんにとって「はたらいて、笑おう。」とは何ですか?

子どもが笑顔になると、僕たち大人も自然と笑顔になりますよね。虐待された子や、超未熟児で生まれた子などいろいろな事情を抱えた子どもが来るんですけど、ふだんは全然会話しない自閉症の子が、自分から馬の背中に乗って笑ったことがありました。親御さんはびっくりして、まわりの大人もみんな笑顔になって。この仕事をやっていてよかったなあ、と実感しました。
誰かを幸せにする仕事は自分のことも幸せにしてくれます。僕たちの仕事は半分がセラピー、半分が馬の世話で、日常生活のなかに仕事がありますから、ある意味休みがなくて大変なことも多いんです。でも、四季折々の自然を眺めながら、子どもと馬といっしょに散歩していると「幸せだなあ」と思うんですよね。これからも馬の力を借りて、子どもの笑顔や幸せを作っていきたいです。

(文・秋 カヲリ 写真・北村 渉)

WORKS

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黍原 豊 (一般社団法人 三陸駒舎 理事)

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