PERSOL Work-Style AWARD 2021

Hisao Ito

アクティブシニア部門

株式会社アート 代表取締役
伊藤 久夫

1941年生まれ。県立前橋工業高等学校色染科を卒業後、桐生市の老舗染色会社に務め、台湾の染色加工会社の技術指導などを行う。23年間の勤務を経て独立。収縮性のあるレースをメーカーと共同開発するなどして事業を軌道に乗せた。2000年よりシルクタンパクを利用したものづくりに着手し、2020年からは新型コロナウイルス感染予防に役立つ商品等を開発。さらにウイルスを不活性化させる商品の開発を急ぐ。

いくつになっても限界はない。シルクタンパクで日本のものづくりに貢献し続ける79歳の矜持

群馬県桐生市で染色や絹を使ったものづくりをしている伊藤久夫さん。満80歳となる2021年も意欲的に新しい技術の開発を進め、現在では新型コロナウイルスに対応した商品開発を手掛けています。伊藤さんはなぜいまも現役ではたらき続けているのでしょう。熱く燃えるハートの燃料は何か、伺いました。

勉強が嫌で染色の道へ。
なりゆきで会社を設立

—いまの仕事をはじめたきっかけを教えてください。

1960年に県立前橋工業高等学校の色染科を卒業しました。色染科に進んだのは父が染物工場を営んでいたことと、当時は勉強が大嫌いで色染科なら比較的楽に入学ができたからです。親の仕事を継ぐつもりは端からありませんでした。高校を卒業したら家を出てどこか別のところへ勤めようと就職先を探し、桐生市の創業120年を誇る染色会社に入社。そこからしばらくは技術畑一筋でした。台湾の染色加工会社を指導するなど貴重な経験もさせてもらいましたよ。

—現在の会社はどのような経緯で立ち上げたのでしょうか。

独立して大儲けしようとかそういうことを考えたわけじゃないんです。本意ではなく成り行きでそうなりました。弟が売りに出ていた染色工場を見つけたんですね。弟は私の意思をほとんど確認せず「兄さん、染色工場をやってくれ」と独断で購入してしまったのです。退路を断たれる形で会社を立ち上げました。
前の会社の技術や事業を持ち出すわけにはいかず、当初は迷惑をかけないように細々と事業をはじめました。私はこれまで技術一本でやってきた人間。手形がどんなものかすらわかりませんでした。しかし一度出航した船は簡単には港に戻れません。前進するしかないと腹を括り、小さな案件にも必死で食らいつきました。

—転機となった出来事はあったのですか?

福井にある経編工場から、「伸縮性のあるレース生地を作りたい」と相談がありました。どこかで私のことを聞き及んだようです。相談されたジャンルのものづくりには自信がありましたので「よしやってやろう」という気持ちで前向きにチャレンジしました。
それを機に事業は軌道に乗りはじめ、いまも続く会社となりました。それからは地元メーカーの依頼で国産ロケットの内張りの加工を成功させ、宇宙船に採用されるなど面白い仕事をたくさんさせてもらいました。

新しいことに挑戦するのは
まったく抵抗がない

—新しい領域に挑戦することには抵抗がないのですね。

まったくありませんね。なので、染色に限らずシルクを使ったさまざまな製品開発にも着手をしています。
私がはたらき暮らしている桐生市は、小さな工場がたくさん集まった絹織物を中心とした繊維の町でした。西の西陣、東の桐生と言われるほど織物産業で発展した町だったんです。でも数十年前から徐々に織物産業が東南アジアに移っていくのを感じました。いまでは日本で流通している衣類のほとんどは中国やインドネシア、タイなどで作られたものでしょう。日本の大手のアパレル会社も海外の工場で製品を作っていますね。だから、繊維にこだわらず新しい領域に手を伸ばしていかなくてはならないと思いました。そこで目をつけたのが絹の持つさまざまな作用。絹の原料は蚕が作り出す繭です。繭はシルクタンパクというタンパク質でできており、これが菌の活性化を抑えたり、化学繊維をコーティングすれば肌荒れを抑えたりすることがわかりました。

どんなことでも死力を尽くせばなんとかなる

—技術開発を進めるうえで印象的だった出来事は。

いまから18年前のまだ絹の研究をはじめて間もないころです。従業員にアレルギーで悩む方がいました。その方の協力を得て、化学繊維でできた下着にシルクタンパクから抽出した液に浸けこんで乾燥してから、着用してみてもらったんです。半年後に使用した感想を聞くと、アレルギー症状は出ず肌がつるつるになったというではありませんか。それにヒントを得てシルクタンパク質を利用した化粧品やせっけんづくりをはじめました。また化学繊維にシルクタンパクをつける事業もはじめました。それらの事業はOEMでスタートしています。私たちは繊維については知見がありますが、クリームの製造といった作業は素人。学びながらものづくりを続けました。

—挑戦には失敗もつきものだったのでは。

失敗ももちろんたくさんありましたよ。大手下着メーカーで使用する素材を作らせてもらったのですが、それが輸出した先で変色してしまったんです。大量の商品がだめになってしまい、もう命が縮む思いでした。化学繊維を柔らかくするために使った材料が原因だったんです。けれどいろいろな人の助言を受けて、県の研究施設にもアドバイスをいただき、変色を元に戻す方法を見つけ出しました。そのときは本当に大変でしたが、実は2、3日で解決してしまったんです。それどころから輸出先の国の会社から簡単に解決してしまったので、「日本の技術は素晴らしいですね」と褒められて。逆に褒められたこちらは一度失敗をしているので、心が痒い思いでした。それからはね、逃げてはいけないと思うようになりました。どんなことでも死力を尽くせばなんとかなると。これは私の鉄則です。
このときの経験があるからこそ、困難だったシルクタンパクの実用化も諦めずに挑戦し続け、製品化することができたんです。

—いまはどのような製品を手がけられているのですか。

シルクタンパクには菌の活動を抑える力があります。それを生かして、新型コロナウイルスを不活性化させる製品を手掛けたいと考えています。すでにエタノール製剤やシルク入りジェルなどは地元の厚生病院の協力を得て開発が進んでいるんですよ。今後はさらに医療分野でシルクタンパクを役立ててもらえるよう力を注いでいきたいです。

夢はものづくりで地域を元気にすること

―今年で80歳になられると聞きました。はたらき続ける原動力はどこからくるのでしょう。

私は桐生の町が大好きなんですよ。かつて織物産業で栄えたこの街を再び活力あふれる街にしたい。山紫水明で美しいところです。温泉もたくさんあるし、東京へも1時間40分で行くことができる。若い優秀な従業員たちがここに定着してはたらいていくことができれば、街はもっと活気づくと思います。だから彼らのためにはたらきやすい環境を整えていきたいですね。ものづくりで地域を元気にしたいというのが私の夢です。夢っていうと、なかなか叶わないもののようですが、なんとか現実にしたいですね。いい人材を大切にして、技術を磨いていれば、お金は後からついてくるんじゃないかなぁ。

—気力、体力を保ち続ける秘訣は?

じっとしているなんて考えられませんよ。私は野球が大好きで。実はそのために生まれ育った北群馬郡を離れて桐生に来たようなものなんです。桐生は名門校もあるし野球人口も多い。桐生といえば野球です。いまも社会人1年目19歳の孫と同じチームに所属して野球をしています。孫が3番打者で私が4番。但し指名打者。地域ではちょっとした有名人です(笑)。体力づくりのためにジムやプールにも通っていますよ。バタフライだって泳げます。好きなことをしてストレスを解消できているから仕事も頑張れるんです。
けれど気力は絶えそうになるときがありますね。とくに作ったものが評価されないときなんかは。けれど若い人たちと一緒に仕事をして「素晴らしいものができたね」なんて言い合うときなんかには、やっぱりますますやる気がわきますね。

—はたらくうえで大切にされていることはなんでしょう。

人を育てることですね。30歳ぐらいのときに台湾で技術指導を行っていましたが、自分だけで教えられることには限界がありました。言葉も分からないから、人を頼るしかない。だからまずは自分の右腕になる人材を育てることを考えました。優秀な部下が育てば、その下に何人従業員が増えても仕事は楽になります。
思えば、人に助けられてここまでやってきましたね。だからこれからはもっともっと人に還元していきたいです。でも次に助けなくてはいけないのは妻だと思います。これまで本当にお世話になりました。いまは週1回カラオケのある寿司屋に連れていくことが恩返しのつもりです。

人生に限界はない。
好奇心をもって、学ぼう

―今後、残していきたいものはありますか?

若い従業員が研究に集中できる環境を整え、100年続くSDGsに貢献する企業にしたいですね。規模は小さいままでもいい。高い技術力でどこにもまねできないような商品を作って、従業員の子どもたちが親の仕事を誇れるような会社をつくり、社会に貢献していきたいです。

—いまの若い人たちに伝えたいことは。

日本が新型コロナウイルスのワクチンを開発できなかったことは残念でした。これからも世界に誇るものづくり大国であり続けられるよう、勉強を重ねて頑張り続けてほしいと思います。若い人は優秀な人が多いですよ。目の前の利益ばかりを追求せずに、誰かのため、社会のために汗を流してほしいですね。私が大事にしている言葉は「はたらきながら知恵を出せ、知恵がないものは汗を出せ」。きつい言葉ですが充実した仕事人生を送るためには大切なことだと思います。人生に限界はありませんから。

—いまも続けている努力は。

冒頭で申し上げた通り、若いときは勉強が大嫌いでした。でも仕事をしていくうえで、学ぶことからは逃れられない。いまは専門誌のほか経済誌や自叙伝などいろいろな本を読んでいます。すでに野球と同じように趣味になっていますが。好奇心をもって取り組むことですね。
本や人から学ぶこともありますが、自然から学ぶことも多いですよ。昆虫なんかは面白いものです。繭をつくりだしてくれる蚕も昆虫でしょう。観察してたくさん学ぶことはあります。

—伊藤さんにとっての「はたらいて、笑おう。」とは。

人生においてはたらくことは大事ですね。ないといきがいを感じられない。試行錯誤の末にいいものができたときはうれしいですよ。もちろんそれが売れたときも。人は仕事を通じて自分の人生に充実感を覚えることができるんだと思いますよ。(文・大川 祥子  写真・北村 渉)

アクティブシニア部門
受賞を受けて

大変驚くと同時に少しの重圧も感じています。しかし田舎の一企業の社長がこのような賞をいただけることはなかなかないでしょう。若く優秀な従業員たちのためにも、これが私たちのものづくりを知っていただく機会になればと思い、ありがたくお受けいたします。

伊藤 久夫さん

株式会社アート 代表取締役

大変驚くと同時に少しの重圧も感じています。しかし田舎の一企業の社長がこのような賞をいただけることはなかなかないでしょう。若く優秀な従業員たちのためにも、これが私たちのものづくりを知っていただく機会になればと思い、ありがたくお受けいたします。

伊藤 久夫さん

株式会社アート 代表取締役

WORKS

  • 2020年2月1日 東京農工大学にて講演
    テーマ:「研究シリーズから新規事業へ実現のプロセス」
  • 2018年10月 怖い顔して新しい試みを模索しています。

伊藤 久夫 株式会社アート 代表取締役

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