著名人部⾨
1984年1月26日北海道生まれ。2007年、相方のハジメとお笑いコンビ「フォーリンラブ」を結成。ワイドショー番組TBS「ひるおび!」のコメンテーターや、TBSラジオ「週末ノオト」のパーソナリティを務めるほか、生まれ故郷の町おこしにも尽力。YouTube「バービーちゃんねる」では、最新美容や性についてのトピックが話題となり、現在の登録者数は25万人を超える。2020年にはFRaU WEBにて連載中のエッセイをまとめた著書「本音の置き場所」(講談社)を出版。また、自らプロデュースしたピーチ・ジョンとのコラボ下着の発売や、双方向コミュニケーション型ECサイト「◯バ(仮)」にてシルエットをキレイに見せる太ベルトの発売を開始するなど、多岐にわたり活動の幅を広げている。
お笑い芸人として活躍するかたわら、コメンテーターやエッセイスト、さらにはランジェリーのプロデューサーなど、多彩な活動で知られるバービーさん。最近ではジェンダー論や女性ならではの身体の変化や悩みについても発信し、幅広い層から支持を得ているバービーさんに、仕事との向き合い方をお聞きしました。
— バービーさんはもともと、お笑い芸人ではなく脚本家志望だったそうですね。
そうですね。ただ、すごく強い意思があったわけではなくて、ただ言っていただけだったような気もします。脚本家や放送作家に憧れる一方で、小説家にもなりたかったし、自分の才覚で何かを成し遂げたいという思いだけは人一倍持っていました。
— それがこうしてお笑い芸人の道にシフトしたのは?
今の事務所の養成所に入った時点では、脚本家か放送作家を目指そうと思っていたのですが、先輩から「芸人をかじっておけば、放送作家になるのは簡単だよ」と言われ、それを真に受けてしまったんです。結果的にこうして芸人をやっていますけど、脚本家や小説家になりたいという夢は、完全にあきらめたわけではありません。もっとも、この世界にいるとそれがいかにむずかしく、特別な世界であるかがよく理解できますから。本当に夢のまた夢という感じですけどね。
— では、さまざまな夢を持ちながらも、お笑い芸人としてやっていく覚悟を決めたきっかけは?
24歳の時(2008年)に初めて出演させていただいた、『お笑いレッドカーペット』というネタ番組です。この日、レッドカーペット賞というMVPをいただいたことで、急にお仕事がたくさん舞い込むようになったんです。
それまでは正直、何となく流されるように芸人をやっていたところがあって、養成所のネタ見せの授業や、オーディションなど一人ひとりでは全く受けようとしませんでしたし、ライブでもぐいぐい前へ出るようなこともありませんでした。しかし、レッドカーペット賞を機にがらりと潮目が変わり、「これはもう後戻りできないぞ」と直感したことで、ようやくこの道でやっていくしかないと腹をくくりました。
それからは人が変わったようにお笑いの勉強に没頭するようになりましたね。お笑いとはどのようなものか、セオリーやしきたりを一生懸命学び、気がついたら今に至っているという感じです。
— そうして飛び込んだお笑いの世界は、バービーさんにとって楽しい世界でしたか?
楽しいかどうかを考える余裕はなかったですね。とりあえずやるしかない、やらなければいけないという義務感で、いっぱいいっぱいの状態で……。金銭的にも、もうこの道で食べていくしかないんだという焦りがありましたし、一発屋で終わらないためにはどうすればいいか、少しでも延命する方法ばかり考えていました。
— 多くの芸人さんがしのぎを削るなか、そこでバービーさんが出した答えは?
できることは何でもやる。結局それしかないというのが結論でした。この世界、まわりが(ネタを)振ってくれたり、笑いを生むためのレールを敷いてくれたり、新たに出てきた芸人に対してチャンスを与えようとする土壌があるので、まずはそれにしっかり応えていくことが大切だろう、と。何より、そうやってチャンスをまわしてくれた人に恥をかかせたくないので、毎日とにかく必死でした。
— そこで喰らいつくように頑張ることができた原動力は何だったのでしょうか。
実は原動力というのは考えたこともなかったんです。なぜなら私の場合、もともとが芸人志望ではなかったこともあり、「売れたい」という強い欲求がなかったからでしょうね。まわりの先輩や仲間の意図を汲みながら、できることをやるだけで精一杯でした。
本当はラーメンズさんが好きだったので、自分もああいうシュールなネタがやれればという気持ちはあったのですが、すぐに「私には無理だな」と察してしまいましたしね。
— 最近は本業のお笑い以外でも活躍されています。活動の幅が広がったきっかけは?
これは明確に、3年前に出演したラジオ番組がきっかけなんです。当時、私はラジオの拡散力というのをよく理解していなかったので、何も考えずに初めて公の場でジェンダーや下着についてお話したんです。ところが、これが思いのほか反響を呼び、エッセイの連載依頼をいただいたり、ジェンダーについて話す機会をいただいたり、それまでとは違った方向に仕事が広がっていきました。
— 今日の多芸多才な活動ぶりは、もともと目指していた姿なのでしょうか。
多才と言っていただけるのはうれしいことですが、実際はそうでもないんですよ。下着のプロデュースにしても、あたかも事業を手掛けているように見えるかもしれませんが、ビジネス的な部分は私の担当外ですし。ただ、いろんなことがやれる人間でありたいとはずっと思っていました。実際に「エッセイの仕事がしたい」とマネージャーに相談したこともありましたし、昔のメモ帳には「コメンテーターになりたい」という目標も書いていました。その意味では、夢が叶ったと言えるのかもしれませんね。
— それでも、お笑いに対する熱意も失ってはいないように見えます。
そうですね。基本的には芸能界のお仕事がメインであることに変わりはなく、肩書きもあくまで「お笑い芸人」でありたいと思っています。ただ、最近はネタを披露する機会が以前より減っているので、芸人を名乗るのはおこがましいかなとも感じています。なので、一連の活動を含めて、ざっくりと「ワクワククリエイター」なんて名乗ったりもしているんです。
— お笑いの仕事で得た経験が、他の領域の仕事に生きることも?
それはありますね。テレビというマスメディアで仕事をさせてもらってきたことで、どうすればより多くの人の心に響くか、演出や広告戦略についてはある程度の経験則を持っていると思います。実際、プロデュースした下着に関しても、広告費はほとんど使わず、私のSNSやそれに興味を持ってくれた媒体でしか宣伝していないんですよ。
— ここ2~3年、急速に仕事の幅が広がったことで、QOL(クオリティ・オブ・ライフ/生活の質)の維持に苦労することはありませんか。
今年に入ったあたりから、ようやく少し落ち着いてきましたが、それまでの2年間は本当に全力で駆け抜けてきた感じでした。こんなに頭をフル回転させたのは人生において初めてで、最初の1年は毎日のように知恵熱を出していましたし、2年目はそれぞれの仕事に伴う責任を感じて、メンタルをやられた時期もありました。
ただ、その途中で結婚したこともあり、このまま仕事に追われているだけではいけないと、マネージャーを交えて時間の配分についてじっくり話し合いました。テレビ番組の収録にかかる実働時間や、連載の執筆にかかる時間、YouTubeなどの企画制作にかかる時間をすべて数字で書き出して、自分に必要な時間をすべて明確化してみたんです。もちろん、そうした机上の数字通りに事が運ぶわけではないのですが、それでも状況が整理されたことで、気持ちがかなり楽になりましたね。余裕を失っているときこそ、いったん立ち止まって体制を整えるのは大切なことだと思います。
— そんな多忙な日々において、バービーさんのはたらくモチベーションは何でしょうか。
一番のモチベーションの源は、やはり「面白いね」と言っていただけることですね。それは芸で笑いを取ることだけでなく、私のさまざまな活動を見た人が「嫌な気持ちが吹き飛びました」とか、「前向きな気持ちになれました」などと言ってくださるのが一番の喜びです。
また、日頃から人に言いづらい女性ならではの悩みやパートナーとの馴れ初めなどについてオープンに語っているのも、私の生き方やはたらき方を見て勇気づけられる人が、少しでもいればいいなという想いがあってのことです。
— バービーさんにとっての「はたらいて、笑おう。」とは?
つい先日、パートナーが「明日、会社行きたくないなあ」とぼやいたのをきっかけに、どういうはたらき方であれば毎日が楽しくなるのか、話し合ったばかりなんです。そこで出たひとまずの結論は、重要なのは仕事内容よりも仲間である、ということでした。
私自身、お笑いの世界で出会った仲間なくしては、今の楽しい日々はあり得ませんし、また、世界が広がるなかで得た仲間がいるからこそ、お笑い以外でも充実した活動が行えています。つまり、チャンスを与えてくれるのもやり甲斐を与えてくれるのも、良い仲間に恵まれていればこそなのだと思います。だから今後も周囲の仲間への感謝を忘れず、私にできるかぎりのことをがんばっていきたいですね。
パーソルワークスタイルアワード事務局より
芸人としてキャリアをスタートし、コメンテーターや下着プロデュースなど活動の枠を自ら広げるとともに、パートナーとの出会いや恋愛観、家庭生活や将来に関することなど正直に発信されているバービーさん。その飾らない姿や素直なコメントは、多くのはたらく方々に「自分らしくいること」や「チャレンジすること」の大切さを伝えてくれました。
芸人を始める前は仕事に上手くなじめなくて、怒られてばかりでしたが、芸人を始めてからはずっと笑っています。芸人になってからは、周りの人たちがとても愉快なので、わたしも笑わせたいなって気持ちでいっぱいです。私の場合は笑っていたらはたらいていた、みたいなところがあるんですが、そんな感じでこれからもワクワクすること、楽しいことしたいことをしていきたいと思います。この度は受賞ありがとうございました。