【浜田敬子×鈴木明子×平田麻莉×平沢恵美】変化の時代をどう生きる?社会の求める「女性像」に縛られず“自分の歩み”から考えるキャリア

パーソルグループは、はたらき方やはたらく価値観が多様化するいま、あらゆるはたらく個人がより幸せに生き、自分らしくはたらくための一歩を踏み出すきっかけづくりを目的として、どなたでも気軽に参加できるオンラインセミナー「今、ニッポンのはたらくを考える会議」を定期開催しています。

3月8日の国際女性デーに開催したセッションのテーマは「国際女性デーに考える女性とはたらく」。昨年、ジェンダーギャップ指数で153カ国中121位という低評価を受けた日本。国際女性デーに合わせ、過去の時代につくられた女性像に縛られず、女性が自分らしくはたらき、生きていくための考え方を模索しました。

今回のカンファレンスでは、「Session1:変化の時代をどう生きる?社会の求める『女性像』に縛られず“自分の歩み”から考えるキャリア」、「Session2:ライフステージにおける身体の変化と対話し、人生100年時代を健やかにはたらく」の2つのセッションを開催。今回はSession1についてレポートします。


【Session1】
変化の時代をどう生きる?社会の求める「女性像」に縛られず“自分の歩み”から考えるキャリア


<ファシリテーター>
浜田 敬子氏(ジャーナリスト/前Business Insider Japan統括編集長/元AERA編集長)

<登壇者>
鈴木 明子氏(プロフィギュアスケーター/元オリンピック日本代表)
平田 麻莉氏(プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会代表理事)
平沢 恵美(パーソルホールディングス株式会社グループ人事本部エンゲージメント推進室 エキスパート)

いまなお社会に影響を及ぼす、はたらく女性の「失われた10年」

浜田氏:議論の前にまず、女性のはたらき方がこの30年でどう変化したのか、変遷を簡単に振り返ってみたいと思います。私自身、平成元年(1989年)の新卒入社組で、まさにこの30年間を肌身で感じてきた世代になりますが、そこで痛感するのは、女性のはたらき方は経済に翻弄されるということです。

私はバブル景気の時代と男女雇用機会均等法、二重の恩恵で女性が大量採用された世代ですが、入社後まもなくバブルがはじけ、女性の採用は一気に抑制されました。同時に90年代は育休制度なども整備されておらずはたらきき続けることも難しかった、はたらく女性にとって、90年代とは実質的に「失われた10年」であったと感じます。
2000年代になると、企業が仕事と育児の両立支援制度を少しずつ取り入れるようになり、育児支援のための時短制度を設けたり保育所をつくったりといった動きが出始めます。しかし、男性の長時間労働が放置されていたため、結果的に家事育児を担うのは女性、ワンオペ育児問題は解決されず、はたらく女性の役割は増えるばかりでした。本日ご登壇の皆さんも、そうした葛藤に苦しまれた経験があるのではないでしょうか。



鈴木氏:私の場合でいえば、競技に専念していた関係で、社会に出たのが29歳のときなんです。つまりはたらき始めた時点でいわゆる「30歳の壁」が目前だったわけですが、それでもまずははたらくことを第一に考え、講演やテレビ出演、書籍の執筆など、さまざまな仕事にチャレンジしてきました。

すると、仕事にやり甲斐を感じ始めたところで、「女性の幸せは結婚すること」という周囲からの重圧に晒されるようになりました。もともと強い結婚願望を持っていたわけでもないので、これは苦しかったですね。



浜田氏:なるほど。実際問題として、こうした女性のライフイベントと仕事の関係は、本当になん十年も変わらないままです。なぜ変えることができないと思われますか。

平田氏:私はキャリアとしてはベンチャー生まれのフリーランス育ちなので、会社員の女性に比べると、まだそうした葛藤とは無縁でいられたほうかもしれません。ただ、フリーランス協会を立ち上げるきっかけになったのは、周囲にそうした悩みを抱える方があまりにも多かったからです。だったら、独立して女性のはたらき方の選択肢を増やす活動に取り組んでみよう、と。

浜田氏:いまでもよく覚えているのですが、私が数年前にはじめて平田さんにお会いしたときは、赤ちゃんを抱っこしてはたらかれてましたよね。当時はまだ、そうした”カンガルー出勤”は非常に珍しい事例でしたよね。

平田氏:そうでしたね。立場としてはフリーランスだったので、そうした子連れ出勤を認めてもらえるクライアントと出会えたのは幸いでした。年配の男性相手の打ち合わせの席では、変な目で見られることもありましたけど、それでも女性のはたらき方が多様化する一助になればという思いから、カンガルー出勤を続けていたんです。



平沢:そうした制度設計が第一なのは間違いないのですが、一方では、日ごろからいろんな相談を受けていると、女性の側が過剰に責任を背負い込もうとしてしまう傾向があることも見逃せません。生活と仕事を両立するためには、もっと会社で成果を出さなければいけない、周囲の期待には応えなければいけないと、人知れず追い詰められている女性が多いのは気になりますね。客観的には十分頑張っているのだから、「もう少し気持ちを緩めてもいいのでは……」と思うことは多いんですよ。

鈴木氏:周囲の期待に応えなければいけない気持ちは、私もよく分かります。それはスケーターという仕事の面でももちろんですし、一人の女性としても同様でした。とくに出産は女性にしかできないことだから、自分もその道を選択しなければならないのではないかと、誰にも相談できず悩んでいた時期もありました。

はたらく女性のチャレンジ精神を後押しする言葉とは?

浜田氏:いまのお話のように、罪悪感を抱える女性が多いのは問題ですよね。たとえば制度に則って時短勤務をしているなら、申し訳なさそうに退勤する必要などないはずです。逆に私の場合は、出産後もはたらき方を変えずにフルタイム勤務を続けていたので、常に子どもに対する申し訳なさがありました。そのときに一つの救いになったのは、保育士さんの「子どもにとって必要なお母さんの愛情とは、時間の長さではなく深さなので、何も問題ないですよ」という言葉でした。こういう助言をしてくれる人が周囲にいるかどうかというのも重要でしょう。



平沢:たしかに、悩みを抱えている人の中には、誰かとの対話の中で、心の葛藤を解消するヒントを解消する人も多いですね。

鈴木氏:そうですよね。私も結婚や出産よりも仕事を選んだことで、どうしても自分を肯定できずにいた時期がありますが、葛藤や不安を解消できたきっかけの一つは母の言葉でした。「ご縁はいつ来るか分からないものだから、準備だけしておけばいいのよ」といわれて、そうかいまは準備期間なんだと、すごく気持ちが楽になったのを覚えています。

浜田氏:平田さんはその点、なんでも自分で決めて進んでいけるタイプにも見えますが、実際のところいかがですか?

平田氏:図太いのは事実ですけど(笑)、日ごろから些細なことでも家族に話すようにしています。ちょっとした悩みがあっても、それをネタに家族と笑い飛ばすような感覚は大切にしています。

平沢:相談相手が身近に見つからなければ、自分を奮い立たせる言葉や考え方を持っておくといいかもしれません。私の場合は、自分は“生きている”のではなく“生かされている”という前提に立って、「だったら何をやるにしても、ほんの少しだけ自分の色を添えられるように頑張ろう」と意識を向けることで、何ごとも前向きに頑張れるようになりました。



浜田氏:まさに今年の国際女性デーのキャッチフレーズである「Choose To Challenge」にふさわしいお話ですね。ぜひ皆さんそれぞれに、これをお読みの方の挑戦を後押しするような言葉を考えてみていただけないでしょうか。

鈴木氏:私は「自分の“ものさし”を持とう!」です。私自身がかつて悩んでいたのも、世の中のものさしで自分をはかろうとしてしまったからでした。でも、幸せの形も仕事の仕方も、すべて自分がどうなりたいかを基準に決めるべきことのはずですからね。

平田氏:私は「何者かになろうとなんてしなくていい」です。母親として、あるいは妻としてこうあるべきだと役割に束縛される必要はないはずですし、はたらく女性であればなんでも完璧にこなさなければと考える必要もありません。

また、世の中にはやりたいことが見つからなくて悩んでいる人も多いですが、それもすべて、「何者か」になろうとしているから生まれる葛藤です。周囲から押し付けられた「何者か」になろうとするのではなく、鈴木さんがおっしゃったように、自分のものさしで物事を考えれば、「私は私であればいい」と、前向きに生きていけるでしょう。

平沢:私は「Playful」、これは「遊び心」を意味しています。女性だからこうしたい、はたらきたいからこうしなければという思いを持つのは必ずしも悪いことではありませんが、もう少しだけ心の余白を持っていてもいいのでは、と思うことが少なくありません。鈴木さん、平田さんのお話とも共通することですが、遊び心を持つように心がけることで、自分に優しくなれるでしょうし、それが周囲への優しさにも繋がっていくのではないかと思います。ちなみにこれは、年始に私自身が立てた目標でもあります(笑)。

浜田氏:つまり、平沢さんも今年はより遊び心を大切にしていきたい、と(笑)。たしかに、人生に遊び心を取り入れるのは大切なことですよね。とくに若い女性を見ていると、皆さん人生を短いものと捉えている節を感じます。でも、「もうすぐ30歳だから」とか「なん歳までに何をしなければ」などと縛られる必要はないと感じています。

実際、私が28年間勤めた朝日新聞社から転職したのは50歳のときでした。そのときに意識したのは「人生100年時代」という考え方で、定年まではあと10年かもしれないけど、人生はまだまだ半分なわけです。そう考えるとゴールがぐんと伸び、見える景色が一気に変わりました。

皆さんもどうか、社会が求めている女性像に囚われることなく、ご自身のキャリアを考えてみてください。

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